2017/11/26

安室奈美恵と、自分のこと。

11月23日NHK放送の、『安室奈美恵「告白」』を見た。安室の引退について、彼女のこれまでの活躍を振り返りながら迫った番組だ。

この放送の約一ヶ月前に、安室が歌手の引退を表明した。

ものすごく驚いた。と同時に、自分が幼かった頃から聞いていた安室の曲を、その当時の自分のこととともに思い出した。

安室奈美恵は、私が生まれて初めて覚えた最初の女性歌手だった。その頃はまだ、『ポンキッキーズ』に安室奈美恵と鈴木蘭々とが、アシスタントのような位置づけで番組に出演していた頃だった。『ポンキッキーズ』が好きだった私は、その番組に毎回安室が出演していたので、幼くも、彼女になんとなく親近感を持っていたのを覚えている。

彼女の曲の中で、初めて印象に残ったのは『Chase the Chance』だった。当時は幼かったので、曲名が分からなかったが、サビだけはしっかり覚えていた。それから幾年も、サビだけは口ずさめるものの、曲名と歌手が分からないというモヤモヤが長い間ずっと続いていた。そしてこの曲がリリースされて約14年後、とある機会にこれを聞き、「あの曲、安室の曲だったのか」と衝撃を受けた。ようやく歌い手とその曲名が分かった時の嬉しさは何とも言えなかった。以来、一人カラオケをする時は、よくこの歌を歌うようになった。

90年半ばから終わりまで、安室はとにかく絶頂期だった。小室哲哉とともにキャッチーなメロディーと歌声を披露してくれる彼女は、J-POP華の時代を代表するのに相応しい人だった。

大学生になってからも安室奈美恵の曲はよく聞いていた。とは言っても、90年代に発表した曲がほとんどではあったけれども。しかし、安室奈美恵本人のことが大好きだったし、自分にとってはなんとなく、(大変不遜ではあるのだが)「自分に縁のある人」のような感覚を持っていた。別に彼女のコンサートに行ったことなど一度もないのに、である。それでも、なぜか「親近感」という、(無論「親」しい関係でも「近」しい関係でも当然ないのだが)不思議な感覚を持てた唯一の女性歌手が、宇多田ヒカルでも浜崎あゆみでもなく、安室奈美恵だった。

ところが、ある時から彼女が歌番組に出演するのを見かけなくなるようになった。昔はよくテレビで見ていた安室奈美恵が、いつしかテレビから遠い存在になっていった。だから、2016年のオリンピックテーマソングで安室奈美恵が歌ったときにテレビで見かけたのは、自分にとってちょっとした驚きだった。

そしてこの約一年後、安室が歌手引退を発表した。

これを聞いて、自分が幼かった頃から聞いていた安室奈美恵の曲を一気に思い出してしまった。もう、安室を目にすることはないのだ、という悲しさを伴いながら。

「平成」という時代は、もうあと数年で終わるという。自分にとって安室奈美恵は、「平成」という一時代すべての音楽を象徴する歌手だった。少なくとも私にとって、「平成の曲」は「安室奈美恵の曲」であり、「平成の歌手」は「安室奈美恵」その人だった。

本当に今までありがとうございました、というのが今の私の気持ちである。自分にとって、どこまでもどこまでも身近な曲は、安室奈美恵の曲でしかなかった。しかし、もう彼女のことを見られる機会はないのだろう。本当に残念ではあるのだが、むしろ、非常にきれいな形で職を退く彼女のことが、ますます好きになってしまった。

私にとって「伝説」的な、でも「身近」でもいてくれた歌手・安室奈美恵さんに、心から御礼を申し上げます。これまで本当に、ありがとうございました。
スポンサーサイト
2017/11/11

「結婚すること」と「結婚生活を維持すること」は違う

ここ最近、私の周りで「○○さんが結婚した」という話を聞く機会が増えてきた。

わたしは結婚していない。そういう話を聞いてまったく焦りがない、と言えば嘘になるが、さりとて「自分も乗り遅れまい」などと思ったりもしない。

それはまだまだ独身で遊びたいという気持ちがあるからでもあるし、今後自分の仕事がどうなるかもわからない以上、結婚して身を固めるということに抵抗があるからでもある。

でもそれよりも気にしていることがある。それは、「結婚生活を維持する」ことが今の自分にとって重荷だということだ。こういうと「今時の○○は~」論を投げつけられそうだが、事実なのだから仕方がない。

わたしは「結婚すること」と「結婚生活を維持すること」は、まったく別のことだと考えている。結婚したことのない者が、このようなことを言っても説得力に欠けると思うが、これは本やテレビや自分の周囲で聞いた話などから自分で出した結論である。

だいたい、結婚してうまくいかない(うまくいかなかった)人は、この両者を一緒くたにしているように見受けられる。しかし、よく考えてみれば、「結婚する」だけなら、婚姻届を役所に出せば達成できる話で、それを「ずっと続ける(維持する)」のとは次元が違うということくらい、結婚しなくても想像で分かってしまう。

「結婚した」状態を続けるというのは、仕事に行っている間以外は基本的に配偶者とずっといるということだ。だが、「ずっといる」という状態はなかなか辛い。始めのうちはいいのかもしれないが、お互いがお互いをよく知り合ってきた頃から段々、それぞれ「ひとりになりたい」願望がむくむくと出てくるのではないか。

配偶者とはいえ、所詮は「法で規定された人間関係」でしかない。つまり、「他人」でしかないのだ。独身者でもこれだけのことは確実に言えるが、他人とずっと一緒にいるというのはかなり疲れるものだ。よほど「ひとりぼっちは寂しいし嫌だ」と感じる人以外、苦痛でしかない。

こういうと非常に冷淡に聞こえるが、例えばいくら仲が良いとはいえ、ずっとその人といれば、段々一緒にいることがストレスになるはずだ。それは、自分のプライベートがなくなることで精神的に窮屈になるからである。会社という組織が嫌いになりやすい原因のひとつも、結局はここから来ている。

最初にその人のことがどれほど好きだったかというのは関係ない。人間に限らず、どんなに好きなものでも毎日だったり、四六時中だったりでそれとくっついていれば、段々嫌気が差してくる経験は誰にでもあるはずではないか。それと一緒だ。

大方、結婚で失敗するタイプの人は、「結婚すること」と「結婚生活を維持すること」を同じ土俵にのせて考えてしまうから、配偶者とトラブルを起こして行き詰まるのだと思う。

人間関係をうまくさせたいのであれば、しっかりと他人と「距離」をもつことだ。平日から一緒になる時間が多いと思ったら、休日は積極的に個人行動の時間をつくる。逆に、仕事が忙しくて平日はほとんど一緒にいられないのであれば、休日は一緒にいる時間を積極的にもつ。これだけでいい。

そしてもうひとつ、結婚に限らず、人間関係で面倒くさくならないようにする(うまくさせる、ではない。念のため。)コツは、常に「自分と他人は違う」ということを意識することである。上司や部下、先輩や後輩で自分と合わない人がいても「まあ、コイツはこうなんだろうな」くらいの感覚で、それもちょい上から目線のような感覚で、他人を見ていればいい。それが一番楽な人間関係だと思う。

結婚、というものを否定するつもりは毛頭ない。ただ、結婚に何か大きなことを期待するのは間違いだと思うし、そう期待する人もわたしは嫌いだ。そのように期待するから、「結婚とは、結婚することそのもの」ということにしか目がいかず、「結婚生活を維持すること」に想像が及ばず失敗するのだ。

大切なことは、「結婚すること」よりも「結婚生活を維持すること」。そのためには配偶者であろうとも「他人」として見て、しっかりとした「距離」をもつことなのだ。
2017/06/16

「あの頃」と腕時計

先日、とあるSEIKOの腕時計を買った。実はその数ヶ月前にも腕時計を買っていたのだが、先日買ったその腕時計の優美な外観に惚れてしまい、買いたい衝動を我慢できずに買ってしまった。

そのシンプルな、バーインデックスの三針時計は、光のあたる角度によって色々な表情をつくる。昼間の明るい時は、きらっきらっと反射するのだが、夜になれば、街灯のほのかな光を浴びるとたちまち、何とも言えない色気を醸し出すのだ。

そんな腕時計を見ていてふとなんとなく、これがいつ作られたのかが気になった。調べてみると、それは私がちょうど二十歳を迎えた年のときだった。

二十歳、というと、ちょうど大学生のときだ。その頃のことを思い出した。地方の高校から進学して1年。まだまだ垢抜けず、「都心の大学生」像に適合できるようなファッショナブルな装いひとつできやしない自分がそこにいた頃だった。あの頃は自分の、なんというかありとあらゆることに悶々としていた時だったように思う。アルバイト先の、かわいい女の子にどぎまぎしながら、なんとかそれっぽく取り繕うものの、結局うまくいかない、そんな日々を送っていた時だった。

あれから時を経た今、その二十歳という頃を思い返してみると、ただただ「よくここまで来れたなあ」などと思えてしまう。就職が決まった時のことや、一人暮らしを始めたときのことなど、「二十歳から更なる大人へ」と階段を登っていく自分を、その腕時計の製造年を知った時、思い返してしまった。

いまはすっかり、落ち着いたように思う。あの頃の「垢」も、今となっては良い、でもこっ恥ずかしい「思い出」である。

さて、そしてこれから自分はこの腕時計とともにどこへ向かっていくのだろう。この相棒を見ているとちょっとだけ、これから先が気になってしまう。
2017/01/20

外見は中身の一番外側である ― 『メンズファッションの解剖図鑑』

メンズファッションの解剖図鑑
MB
エクスナレッジ (2016-12-03)
売り上げランキング: 3,682



こういう本はおそらく、いままでになかったと思う。

男のおしゃれをロジカルに書いた本だ。「おしゃれとは何か」「おしゃれと感じる理由は何か」を論理的に解説している。そして重要なのは「人は何をおしゃれと感じるのか」をきちんと説明できている点だ。

著者は言う。日本の男のおしゃれは、いわゆる「アメカジ」ではなく、ドレスライク寄りなコーデにすることで生まれるのだと。言われてみれば確かにそうだ。街中でおしゃれだと感じる男は、ほとんどこのドレスライクなファッションをしているのだ。

靴の選び方、アウター、ボトムスの選び方、考え方まで、具体的に例を挙げながら解説してくれているので、非常に参考になる。

極め付きは、著者の「おしゃれ」に対する考え方だ。中身を磨くよりも、外見を磨いた方が遥かに簡単であること、そして遥かに簡単に自信がつくことをコラムの中で論じている。

長らくの間、この国の男たちを縛ってきた考え方のひとつと言えるのが「男は外見じゃない」「男は中身だ」的な発想である。

私はこの考え方が大嫌いだ。なぜ、男がおしゃれに気を使ってはいけないのだろう?人が真っ先に人を判断する材料は、他ならぬ「外見」だというのに。

最近わたしが感銘を受けたのは、「外見は中身の一番外側である」という言葉だ。非常なまでに言い得て妙だと思う。中身が良いのなら、それが外ににじみ出てもいいであろうに、それがないのはちと変だ。にもかかわらず、外見はだらしなくても「わたしは中身に自信があるのです」などと弁明されても腑に落ちないのは私だけではなかろう。

ちなみに、わたしは男のファッションの基本は、「スーツをきちんと着られる」ことから始まると考えている。なぜスーツなのかというと、これが現代の男子にとって、最もフォーマルな服装であり、女性からもっとも支持されている服装であり、「男のおしゃれ」のコンセプトはすべてこの「スーツ」という服の中に込められていると思うからだ。

逆に言えば、スーツをきちんと着こなせられれば、私服はそのフォーマルな「スーツ」をカジュアルに着られるようなコーデにすればいいだけの話なのである。だから、大人の男のおしゃれは、スーツから始まり、スーツで終わると言っても過言ではないはずだ。

いずれにせよ、おしゃれであるというのはどんな時においても有利に働いてくれる。仕事でも恋愛でもオフでも、である。なぜなら、おしゃれは自分に自信を持たせてくれるからだ。

わたしはおしゃれをするのが大好きだ。している時の自分は、本当に自信が持てる。そして人の目を気にするようになるので、変なことやカッコ悪いことはしなくなるし、背筋もピンとしようとする。結果、ますます良く見られるようになるという、相乗効果が期待できる。

男のおしゃれは大いに歓迎されるべきなのだ。
2016/05/02

「武器」としてのミニマリズム

最近のわたしにとってのブームは、「ミニマリズム」だ。部屋の中や、職場の机の上、外出時の持ち物など、ありとあらゆる無駄な「モノ」をそぎ落とし、身軽かつ快適な生活を維持する生き方を言う。

今ではいろいろな雑誌や書籍で、この「ミニマリズム」(少し前の言い方だと「断捨離」だが)が取り上げられている。

きっかけは、『ぼくたちに、もうモノは必要ない』(佐々木典士著)を読んでからだ。この本では、部屋の中にある無駄なモノをいかにそぎ落としていくか、モノを減らすことでなぜ快適な人生を送れるのかが書かれている。

もともと、わたしは部屋や職場の机はきれいにしてきた方だと思っているが、この本と『「超整理法』(野口悠紀雄著)を読んで、よりモノを減らす方向へ動くようになった。

本や雑誌は読んだらすぐ売るようになった。ダンボール箱をひとつ用意し、読み終わったら、そこへどんどん詰めていく。いっぱいになったら、中古本の買取業者に来てもらい、売り渡してしまう。基本的に、一度読んだ本を再読することはしない人間なので、売っても後悔することはない。あとで読みたくなったら、Amazonの中古本販売で買い直せばいいのだから。

食器も捨てた。あるのはフライパンと水切り器くらいだ。一人暮らしをしているので、フライパンひとつで調理器&食器になってしまう。洗い物もプライパンと水切り器だけ。箸やコップは使い捨て(100円ショップで割り箸&紙コップを調達)だ。何も困ることはない。

服も捨てた。ユニクロで白シャツとズボン、靴下を購入している。毎回同じだから、服選びで悩むことはない。靴下は色と種類が全部同じなので、「靴下の相方探し」などしなくてよい。また、ユニクロは基本的にどこにでもあるので、必要なときにいつでも服を買いに行ける素晴らしさがある。

カーペットも掃除機も捨てた。あるのは、クイックルワイパーと科学雑巾だけ。いままで、掃除機をかけることが億劫で仕方なかったが、いまは週に一回、休日にモップがけしている。いままできちんと掃除していなかったところも掃除をするようになった。カーペットだとこうはいかない。基本的に掃除機では吸い取れないほこりなども付着してしまうからだ。いまの掃除スタイルに変えて本当に良かった。

職場では、自分向けの業務マニュアルはすべてデジタル化した。いままで、自分専用のパイプファイルを用意して、そこに紙で綴じていたのだが、このやり方だと、書類は溜まっていく一方だ。新しい仕事を覚えていくたびに、メモやマニュアル類が増えていくのは、うっとうしいし、必要な書類を探すのにも時間がかかる。しかし、いまは紙をPDF化させ、USBメモリにひたすら、書類作成日時順に突っ込んでいくだけ。フォルダを作成し、事細かに分類するやり方は一切やめた。

ちなみに、この分類せずに時間順で保管していくやり方は『「超」整理法』から学んだ。こうすることで、よく使ったり、更新したりするファイルがひと目でわかるようになった。見たいメモや書類は検索機能を使うことですぐにアクセスできる。そしてなんといっても良いのが、紙の時のように、まったくかさばらないこと。これで、パイプファイル保管とは永遠におさらばだ。

ところで先日、旅行に行ったのだが、そのとき気をつけたのが、持っていくものをミニマルにすることだった。手提げカバンは持たず、軽量小型のスーツケースひとつに衣類とその他必要な小物を入れるだけに留めた。それでもスーツケースの中をいっぱにはせず、空きのスペースを2割作ることにした。こうしておけば、旅先で何か購入しても、そこへ入れられるからだ。

目的地の駅に着いたら、スーツケースはコインロッカーに預けてしまい、スマホと財布だけの身軽な状態で旅先を楽しんだ。もはや、スマホと財布さえあれば、どこへでも安心して行ける時代だ。その結果、持ち物に煩わされることが一切なく、実に快適な旅だった。

そう。ミニマリズムは、遊びすらも快適にさせてしまうのだ。

ミニマリズムは人生において、ぜひとも自分のものにしておくべき「武器」のひとつだと思う。こうした発想や考え方があるかないかで、生活の質、ひいては精神状態が大きく違うからだ。

もともと、わたしはこういう考え方が好きだったのかもしれない。だから、そういう意味で、ミニマリズムはその人の性格との相性が重要になってくるのだろう。しかし、何度も言うが、ミニマリズムは強力な「武器」だ。味方につけるべき発想だ。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。