2012.05.03
 無名人として生きる良さ ― 『「有名人になる」ということ』

「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)
(2012/04/28)
勝間 和代

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先日、「ニコニコ生放送」というものを見てみた。ウェブ上で、誰でも自由に、リアルタイムで自分を「放送」できるサービスのことだ。

それだけではない。見る側も、リアルタイムで放送者にコメントを送ることができる。仕組みとしては、「テレビ電話」ならぬ「テレビチャット」といったところか。おもしろい時代になったなと感じる。

「ニコ生」の放送者を見ていて気がついた。10代、20代前半ぐらいの若い男女が非常に多いのだ。彼/彼女たちは、実際に顔を出している。視聴者とこなれた感じでコミュニケーションを取っている。これっぽちも臆することなく、である。素直に感心してしまった。

こういった一つの社会現象を見ていて思うことがある。若い人たちの「プチアイドル願望」「認められたい欲求」の強さだ。ここ最近、かなり顕著になっているのではないか。

「AKB48」が流行り始めた頃から、このことを薄々感じていた。若い子を大勢集め、グループを作り、歌手活動をさせるビジネスは昔もあった。しかしこの頃、やたらと「AKB48」と似たアイドルグループが増えている。

多くの子たちが「アイドル」になる今日。「オレだって・・・」「私だって・・・」感情が若い人の内に芽生えても無理はない。

「イケメン◯◯」「美人◯◯」といった言葉もよく耳にする。これも、「プチアイドル願望」「認められたい欲求」に拍車をかけていると思う。

みんなが「アイドル」、みんなが「イケメン」、みんなが「美人」――そういう錯覚をしやすい社会になった、と言える。そういった「ステータス」を土台にして、チヤホヤされたいのかもしれない。

私は「有名人」になったことがない。「普通の人」である。だから、「有名人」のメリット・デメリットが何かは分からない。想像するしかない。

本書は、そんな「普通の人」に対し、かつて「普通の人」だった著者が、「有名人」になって分かったメリット・デメリットを説いた一冊である。しかも「有名人になる方法」付きで。

曰く、金銭的メリットは、あまりないそうである。その割には、周囲の目や批評を気にしなければならないらしい。「悪口、陰口なんて日常的」だという。

一方で、人脈をかなり広げることができたそうだ。テレビ、著作上での発言は「有名人」という保証書付き。だから説得力を持たせやすいらしい。

「一度、有名人になったら最後、“無名人”に戻ることはできない」という教訓も印象深い。言われてみれば当たり前かもしれない。だが「有名人になりたい願望」が強い人ほど、この事実を忘れやすいのではないか。

キレ者の著者でさえ、このことは「有名人」なってから気づいたという。もっとも、彼女はビジネスとして「有名人」を始めた。その点、ただ「有名人になりたい願望」の強い人とは異なるが。

わたし自身、「有名人」を否定するつもりは全くない。彼/彼女が、先頭に立って何か発言する。それだけで周囲への影響が大きい。立派なこと、含蓄のあることを言えば、人の考え方を一変させる力がある。そこが「有名人」の強みと良さだ。

しかし、である。「普通の人」には想像できない「ストレス」もたくさん抱えている。まずはここに目を向けたい。つまり、「いいことずくめ」ではないのだ。

不特定多数の人たちに対して、「自分そのもの」をさらけ出す――これは本来、「不安」と隣り合わせな行動である。見る者、見られる者の間に「信頼関係」や「親しさ」がないからである。メディア上では、狭い人物像、誤解された人物像が伝わりやすい傾向にある。

「有名人になりたい」「チヤホヤされたい」「人気者になりたい」――そう願う人は、まず、「普通の人であることの良さ」を一度考えてみたらどうだろう、と思う。言い換えれば、「目立たないことの良さ」である。

今の時代、放っておくと、どんどんそういった承認欲求が生まれる。目立つこと、認められること、愛されることばかり拘る――これはかなり危険だ。それを「自分の存在意義」としてしまうからである。

よくよく注意したほうがいいのではないか。いつか必ず、むなしさを感じる時が来るだろう。

「有名人になること」は「愛されること」でも、「チヤホヤされること」でもない。むしろ嫌われることで、その対価を得ることの方が大きい。これが本書読了後の感である。
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2012.04.26
 言葉の罠・論理的の罠 ― 『禅と日本文化』

禅と日本文化 (岩波新書)禅と日本文化 (岩波新書)
(1940/09)
鈴木 大拙

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「論理的に◯◯」は、最近よく見かける表現だ。

「論理的に考えよう」「論理的に説明しなさい」など、学校や仕事の場では、とにかく「論理的」であることが最重要視される。確かに「論理的」であることは、人と人とがコミュニケーションを取る上での大きな助けになるだろう。また、何かを説明する際、説得力をもたせるためには、必要不可欠だ。

しかし、「論理的であること」が、いつでもどこでも「すばらしいもの」であるとは限らない。目には見えず、「論理的」でなくとも、確かにそこに「存在するもの」もある。たとえば「職人芸」などと言われる「技」が、それに当たる。こういった技術は、言葉だけで相手に理解させることはできない。自分が実際にそれをやってみないとわからないものであり、伝わらないものである。

著者・鈴木大拙は、「言葉(だけに頼ること)に対する大きな信頼感」や「論理的に説明できるものばかり信奉すること」に対して警鐘を鳴らす。「禅」は、そういった「言語・論理至上主義」的な態度を真っ向から否定する。概念ばかり当てにするのではなく、自分で実際に取り組んでみよ(経験せよ)、ということだ。

近頃、書店で「◯◯する方法」や「××ができるようになる本」といったものをよく目にする。もちろん読んでその通りにできることもあるだろう。しかし、中には「言葉」や「論理」による説明だけでは、うまくいかないこと(対人関係など)でさえ、マニュアル的に「◯◯するとうまくいく」と述べる本もある。

そのようなハウツー本が多い昨今、大拙の論(禅の教え)は、「言葉や論理的なものだけ重視してると危ないよ」と唱える点で、非常に新鮮だ。

失敗してもいいから、実際にやってみる――私も最近、このこと(「とりあえずやってみよう精神」とでも言おうか)に大切さを感じている。

本書は禅と日本文化(俳句、儒教、武士道など)との関係を説明したものだが、どの章にも、この考えが通底している。1940年刊行の作品だが、当時の思想書としてはかなり読みやすい。禅入門にはおすすめである。
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