2011/11/24

「ことばの乱れ」「美しい言語」という妄想 ― 『はじめての言語学』


はじめての言語学 (講談社現代新書)はじめての言語学 (講談社現代新書)
(2004/01/21)
黒田 龍之助

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言語学のおもしろさを知ることができたのは大学3年の時だと思う。

本書を言語学の「導入の導入」として読むのも良いし、純粋に「ことばって何?」という興味・関心から読むのも良い。

個人的には第一章と第六章がオススメだ。気になった一文を小見出しや本文中からちょっと引用しよう。

① 「語源研究が言語学なのではない」
② 「人間にだけ言語がある」
③ 「『ことばの乱れ』という発想が言語学にはない」
④ 「《美しい言語》も《汚い言語》もない」
⑤ 「言語学がわかると何の得になるか?」

けっこう刺激的な文句ではないだろうか。

よくマスコミが「今の若者はことばが乱れている」などと報道するが、その手の言説を信じている人たちからすると、③は意外に思われるかもしれない。だが、「乱れ」ているかどうかという判断は、その人自身の感情によるものだ。言語学において、これは「ことばの変化」として処理される。④の「美しい言語」「汚い言語」も似たようなもので、どうにもこうにもない、まったくの個人的な趣味である。

⑤は、いわゆる学問の「要不要論争」と関わってくるが、言語学は自動翻訳機の製作や音声認証システムなどを作る際に役立っているという側面があるため、そういう意味では「要」の部類に入るのかもしれない。

だが自然科学・人文科学問わず、全ての学問に対して、役に立つのか立たないのかという問いはそもそもナンセンスであり、筋違いである。学問の本質は、物事の仕組みや現象などを調べていくことだ。その結果として「こういう仕組みや現象を◯◯に応用したら生活していく時に役立ちそうだな」という考えが生まれ、それを反映したモノ、つまり実用品が出来上がる。初めから生活に役立つモノをつくるために「学問」ができあがったのではない。論争の主旨自体、本末転倒なわけである。

最後になるが、第2~5章で言語学にはどんな分野があり、どんなことをするのかという基本を概観することができる。ところどころ散見される著者のボケやツッコミ、冗談もおもしろい。堅苦しくなく気軽に読める良書である。



※以前、ブログで『メタファー思考』という本を紹介したが、メタファー(広い意味での比喩)については「認知言語学」という領域で取り扱っている。
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2011/11/19

大理論や大発見が日本では生まれづらい理由 ― 『森林の思考・砂漠の思考』


森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
(1978/03)
鈴木 秀夫

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比較文化論というのは、個人的に大好きなのですぐに買ってしまうタチだ。

タイトルが風変わりでおもしろい。「森林の思考」「砂漠の思考」とあるが、これは森林の多い土地に住む人々の考え方、砂漠のある土地に住む人々の考え方という意味で筆者は使っている。ちなみに日本人は「森林の思考」タイプだそうだ。

では、その「森林の思考」とはなにか。

その特徴の1つは「世界は永遠に続く」と考える点である。生物が死ぬと、よく「土に帰る」という表現を使うが、森林の中では生の誕生から死へのサイクルが絶えず行われている。それを、生と死の円環が回り続けているのだと「森林の民」たちは考え、そのような死生観を持つのだという。

2つめの特徴は「迷い」だ。森林の中はその茂みにより、道なかばで迷いやすい。しかし迷いに迷った挙句、着いた先が桃源郷であったりもする。そういう経験が、「迷い」というものを必ずしも否定的には捉えないことにつながるのであり、むしろ人間の判断など取るに足らないものだという発想も生まれる。

3つめの特徴は「分析的」だ。森林の民にとって、森林の中全体を見通すというのは甚だ困難である。草木の繁茂が視界を妨げるわけだから、それは当然のことだろう。それゆえ彼らは「今自分にとって見えるもの」の解明に努めようとする。森の全てを知ろうとするのではなく今、自分自身が見ることのできるものを知ろうとするのだ。その姿勢が、たとえば、ある理論の証明のためにコツコツと事実確認をしたり、なにかの原理や法則を見つけ出そうとすることにつながっていくのだという。

一方「砂漠の思考」は、これらと全く逆だ。

砂漠で死ねばそれまでである。その死からなにかが生み出されることはない。その過酷な現実が、世界はある一点から始まり、ある一点で終わるという「直線的な時間軸」を生み出す。

また、砂漠では常に水不足の危険にさらされているがゆえ、どの方向、どの方角へ進むかを決めるのにグズグズしてはいられない。彼らにとって「迷い」は死を意味するので、自分の考えや意見は常にはっきりさせておかなければならない。

そして、砂漠は森林の中と比べてみると、周囲の見通し具合はすこぶる良い。その良さゆえ、また、水のあるオアシスがどこにあるかを知りたいがゆえ、自分たちにとって直接は見えないものに関心を抱く。その態度が、たとえば神話などに見られるような想像力や発想力の豊かさに影響を与えているのだそうだ。

こういった風土の違いにより、それぞれの地に住む人たちの、好き嫌いや得手不得手とするものも違ってくる。

例を挙げると、日本では学問の世界において大理論や大発見などは生まれづらいらしい。それは「森林の民」である日本人が「分析」には優れているが、「砂漠の民」である欧米人と比べて、ものごとを総合的に捉えようとする姿勢が乏しいからだ。また欧米で「わかりません」という態度は、日本と比較すると、より否定的に捉えられてしまう。「砂漠の民」は、仮に事実がはっきりしなくても、「自分はこう思う」とか「自分にはこう見える」などと立場を明確にするをよしとする。

もちろん、日本人だから皆が皆「森林の思考」であるわけではなく、それは欧米人の場合も然りである。私はどちらかというと「砂漠の民」かもしれない。自分の考えや意見は、はっきりさせないと嫌だし、直接は見えないものにもいろんな意味で関心がある。くっだらない妄想も大好きだったりする。

ちなみにだが、筆者によると今日の日本では「森林」の「砂漠化」が進んでいるとのこと。当然の成り行きかもしれない。一国のリーダーや大企業のトップが「存じません」だとか「それについては後ほど云々」などと、お茶を濁したり曖昧なことばかり言っていれば、「砂漠化」を求めるのは起こるべくして起きたと言える。

学問の世界はどうだろう。かつて数学者の岡潔が「三つの大問題」とされた数学の難問を全て一人で解決できたのは、「森林の思考」を宿していたからかもしれない。そうと思いきや、京都大学の山中伸弥教授はiPS細胞の発見者であり、これは「砂漠の思考」による産物の可能性だってある。

とは言っても簡単に割り切れるほど単純な問題ではないが、どちらにせよ「偉人」や「成功者」と呼ばれる人たちというのは、両方の思考を上手に駆使できるのが共通点になっていそうな気はする。
2011/11/01

明日の死、教養の死 ― 『教養主義の没落』


教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
(2003/07)
竹内 洋

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先日とある知り合いになった女性と、ふとしたきっかけから「ブンガク」の話になった。

大変失礼ながら、とても「ブンガク」などというものに関心のなさそうな人だったので、これにはかなり驚かされた。察するに、彼女は結構な数の文学作品を読んでいたと思う。

話をしていてかなり愉快だった。それは、彼女の容貌が良かったからではなく(多少はそれも関係している)、お互いに何か「知的なもの」を共通の話題にできたからだ。

たかが文学作品の読書ごときを「知的なもの」と見なしてしまうのは、どことなく、こっ恥ずかしいくだらぬ見栄にすぎないと捉えられてしまうかもしれない。しかし、かつてそういったものを読んでいることが「教養のある人」とか「知識人」になるための入り口になっていた時代があったことを考えれば、ことさら憚る必要はないはずだ。

残念ながら現代において、こういった「教養」に対して憧れる文化や、「教養」を軸にして何かを語る文化というのは、もうすでになくなっている気がする。むしろ、そういうニオイがちょっとでも出てくると、すぐに一歩引いたり、煙たがったりする人の方が今は多いのかもしれない。

それが私にとっては一抹の寂しさであり、本書のような本に奥ゆかしさを感じるゆえんでもある。

この本は、「教養」というなんだかカタクルシイ概念が、近代以降の日本人(特に旧制高校生たち)からどのように受容されていったのか、また、教養があることに何よりもの重きを置く「教養主義」がどのような文化を創り上げ、そして衰退していったのかをまとめたものだ。

ことに3章「帝大文学士とノルマリアン」は、文学部に縁のある私にとっては、非常に興味深かった。当時、帝大文学部は教養主義の奥の院で、エリート学生文化の中心部だったそうである。それゆえ、37%という(ある意味で)驚異の就職率でも、他学部に引けを感じるどころか、むしろそれがなんだ、文学はパンのための学問じゃない、という気概に満ちていたらしい。読んでいて嫌悪感をもつというよりも、ここまでくるとなんだかその反抗心が逆にかわいらしく見えてしまうから不思議だ。

「教養という言葉は死語になりつつある」と立花隆は言ったが(『ぼくらの頭脳の鍛え方』 p242)、はっきり言おう。教養は、死なせるべきでない、と。
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