2012/05/28

Japan with Gold ― 『黄金の日本史』

黄金の日本史 (新潮新書)黄金の日本史 (新潮新書)
(2012/05/17)
加藤 廣

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近頃、金本位制の復活がささやかれているようだ。
アメリカでは、もうすでに金本位制を実施している州もあるという。
中国や韓国の金買いも増してきているらしい。

その動きを睨んでの企画だろうか。本書のテーマは「金(ゴールド)+日本史」である。日本とゴールドの関わりを通史で紐解くというコンセプトで、サクサク読める歴史読み物だ。

著者は「老生」を称する老作家・加藤廣。ところどころで炸裂する、我が国のお役人様批判が、本書では印象的だ。

話は変わるが、歴史読み物の企画で通史をやるなら、本書のようなテーマ史が一番おもしろいと思う。以前のエントリーで紹介した『物語 フランス革命』も大変読みごたえあるテーマ史だった。


最近は、高校の教科書を社会人向けに編集し直した本が売れているそうである。

わたしも受験生時代は、日本史の教科書にかなりお世話になった。だが、いまさら改めて読もうという気はさすがに起こらない。

教科書は知識だけを伝えるように設計されている。そのため、どうしても客観中立的な表現になってしまう。そこに歴史の流れや、感動を味わえる場面はない。この二つを得るためには、筆力はもちろん、執筆者の歴史観(主観)が必要だ。つまり、独断と偏見が大いにモノを言うのである。

歴史論争を「調停」するのは難しい。ならばいっそのこと、専門家各々の歴史観を楽しめばいいのではないかと思う。

普段、二度読みはほとんどしないが、本書は別だった。歴史書はあまり読まないタチだったが、これはオススメである。
2012/05/21

「日本人」というプレミア ― 『中国人エリートは日本人をこう見る』

中国人エリートは日本人をこう見る (日経プレミアシリーズ)中国人エリートは日本人をこう見る (日経プレミアシリーズ)
(2012/05/09)
中島 恵

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大学2年の時、とある中国人留学生の女の子と知り合った。親元を離れ、コンビニのアルバイトで生計を立てながら、彼女はひとりで勉強していた。卒業後はイギリスの大学院に進学したいとのことだった。

日本語ペラペラ。中国の歴史も文化もきちんと知っていた才女である。非常に勉強熱心な子だったから、わたしも大いに刺激を受けた。その一方で感じる、ある種の恐怖感――こういう子たちが、どんどん日本の大学に来て学べば、それこそ日本人大学生は留学生に太刀打ちできないだろう、と。

本書は、そういった勉強意欲旺盛な中国人留学生たちが主人公である。タイトルに「エリート」とあるが、これは学歴だけの話ではない。意識の面で、もうすでに彼/彼女たちは「エリート」である。言葉の端々に感じられる、「なんでも学んでやろう」という貪欲さ――最近の日本企業が、外国人留学生を積極的に採用するのも当然だろう。

だがその一方で、「日本に生まれていれば・・・」という憧れも見え隠れする。エリート中国人留学生から見れば、日本にいられるのがどれだけ素晴らしいことか、感じられて仕方がないのだろう。大学はもちろん、日本企業の研修制度、飲食店に出てくる無料のお冷、日本人のマナーの良さ、キレイな空気、自由なネット環境、清潔なトイレ、治安の良さ、などなど。わたしも聞いたことはあったが、やはりどれも今の中国では、日本と比べて不備だという。「生きてるだけで丸儲け」ならぬ「日本人というだけで丸儲け」といったところか。

中国が日本を抜いてGDP第2位になった一昨年の2010年。我が国では、この順位争いに敗れたことが大きな話題になった。が、中国人からすれば「だからなに?」程度のものらしい。数字は変化すれども、内部環境はさして変化せず、が実情だという。

五年前に来日し、コンピュータの研究をしたあと日本企業で働く蒋楊(二十八歳)も少し呆れた素振りで首をすくめる。
「(中略)2010年に第三位になって、何か生活が変わりましたか。何も変わらないでしょう?この20年で給料は上がっていないというけれど、生活の質も変わっていない。デパ地下には豪華な食べ物があふれている。まだ相当な余裕を感じます。だから皮肉でもなんでもなくて、日本人はそんなに心配しなくていいと思います」(p75-76)

「勝ち組」「負け組」なんて言葉はあまり使いたくないが、少なくとも「日本人であること」は、中国人から見れば「勝ち組」である、と言えよう(日本は、そこにあぐらをかきすぎた感も否めないが)。

しかし、なんだかんだ言っても、わたしは日本が好きだ。至るところにコンビニと自販機がある。水道水は安全。大量の本と雑誌が安く買える(おそらく世界に出回っている本で、日本語で読めないものは、ほとんどないのではないかと思う)。おいしいごはんが食べられ、製品のアフターサービスも充実。映画館や美術館がたくさんある。夜中に外を出歩いても危険はかなり少ない。ここまでハイスペックな国は、まず、ないだろう。

カナダのビクトリアとバンクーバーを旅行したことがある。治安の良い国としてよく知られているが、それでも夜中に出歩くのは危険だと言われた。水道水はなるべく飲まないようにと言われたし、コンビニも自販機も日本ほどはない(ましてや自販機が外に置いてあることなど、ほとんどなかった)。

日本は「オワコン」(=終わったコンテンツ)ではない。優秀な国だ。優秀と思えるほどの生活水準を、優秀なまでに維持し続けられるほど優秀である。

本書を読んで日本を愛せ、と言うつもりは毛頭ない。しかし、今の日本を見直す必要は大いにありそうだ。
2012/05/03

無名人として生きる良さ ― 『「有名人になる」ということ』

「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)
(2012/04/28)
勝間 和代

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先日、「ニコニコ生放送」というものを見てみた。ウェブ上で、誰でも自由に、リアルタイムで自分を「放送」できるサービスのことだ。

それだけではない。見る側も、リアルタイムで放送者にコメントを送ることができる。仕組みとしては、「テレビ電話」ならぬ「テレビチャット」といったところか。おもしろい時代になったなと感じる。

「ニコ生」の放送者を見ていて気がついた。10代、20代前半ぐらいの若い男女が非常に多いのだ。彼/彼女たちは、実際に顔を出している。視聴者とこなれた感じでコミュニケーションを取っている。これっぽちも臆することなく、である。素直に感心してしまった。

こういった一つの社会現象を見ていて思うことがある。若い人たちの「プチアイドル願望」「認められたい欲求」の強さだ。ここ最近、かなり顕著になっているのではないか。

「AKB48」が流行り始めた頃から、このことを薄々感じていた。若い子を大勢集め、グループを作り、歌手活動をさせるビジネスは昔もあった。しかしこの頃、やたらと「AKB48」と似たアイドルグループが増えている。

多くの子たちが「アイドル」になる今日。「オレだって・・・」「私だって・・・」感情が若い人の内に芽生えても無理はない。

「イケメン◯◯」「美人◯◯」といった言葉もよく耳にする。これも、「プチアイドル願望」「認められたい欲求」に拍車をかけていると思う。

みんなが「アイドル」、みんなが「イケメン」、みんなが「美人」――そういう錯覚をしやすい社会になった、と言える。そういった「ステータス」を土台にして、チヤホヤされたいのかもしれない。

私は「有名人」になったことがない。「普通の人」である。だから、「有名人」のメリット・デメリットが何かは分からない。想像するしかない。

本書は、そんな「普通の人」に対し、かつて「普通の人」だった著者が、「有名人」になって分かったメリット・デメリットを説いた一冊である。しかも「有名人になる方法」付きで。

曰く、金銭的メリットは、あまりないそうである。その割には、周囲の目や批評を気にしなければならないらしい。「悪口、陰口なんて日常的」だという。

一方で、人脈をかなり広げることができたそうだ。テレビ、著作上での発言は「有名人」という保証書付き。だから説得力を持たせやすいらしい。

「一度、有名人になったら最後、“無名人”に戻ることはできない」という教訓も印象深い。言われてみれば当たり前かもしれない。だが「有名人になりたい願望」が強い人ほど、この事実を忘れやすいのではないか。

キレ者の著者でさえ、このことは「有名人」なってから気づいたという。もっとも、彼女はビジネスとして「有名人」を始めた。その点、ただ「有名人になりたい願望」の強い人とは異なるが。

わたし自身、「有名人」を否定するつもりは全くない。彼/彼女が、先頭に立って何か発言する。それだけで周囲への影響が大きい。立派なこと、含蓄のあることを言えば、人の考え方を一変させる力がある。そこが「有名人」の強みと良さだ。

しかし、である。「普通の人」には想像できない「ストレス」もたくさん抱えている。まずはここに目を向けたい。つまり、「いいことずくめ」ではないのだ。

不特定多数の人たちに対して、「自分そのもの」をさらけ出す――これは本来、「不安」と隣り合わせな行動である。見る者、見られる者の間に「信頼関係」や「親しさ」がないからである。メディア上では、狭い人物像、誤解された人物像が伝わりやすい傾向にある。

「有名人になりたい」「チヤホヤされたい」「人気者になりたい」――そう願う人は、まず、「普通の人であることの良さ」を一度考えてみたらどうだろう、と思う。言い換えれば、「目立たないことの良さ」である。

今の時代、放っておくと、どんどんそういった承認欲求が生まれる。目立つこと、認められること、愛されることばかり拘る――これはかなり危険だ。それを「自分の存在意義」としてしまうからである。

よくよく注意したほうがいいのではないか。いつか必ず、むなしさを感じる時が来るだろう。

「有名人になること」は「愛されること」でも、「チヤホヤされること」でもない。むしろ嫌われることで、その対価を得ることの方が大きい。これが本書読了後の感である。