2013/09/13

お金持ちの、お金に対する感覚

昔、会社の先輩とふとした話から財布についての話になった。


私は財布のブランドとか値段といったものには今も昔も興味がない。ただ、自分の社会的地位や収入に見合った、好きなデザインの財布を使えばいいのではないか、とは考えている。この考えも昔から変わっていない。

ところが、その例の先輩は、私から見て明らかに高額な財布を使っていた。無論、彼の地位や収入がその高価な財布を使うに値するのであれば、別に何とも思わなかっただろう。

しかし、どう贔屓目に見ても彼のステータスと財布は「つり合って」いなかったし、そのくせしばしば「金がない」「いま金欠で・・・」なんてセリフを漏らしてもいた。おまけに妻子持ちにもかかわらず、わたしはなぜ彼がそんな高価な財布を持っていたのか不思議で仕方がなかった。

それからしばらくした後、その先輩のことを徐々に知っていくにつれ、「どうやらこの人は金というものに対して色々な意味でコンプレックスがあるのでは?」と思うようになった。

そうというのも、さっきの財布の件に限らず、時計やら住居やら車やら、なにかと高価なもの、あるいは金のかかるものを所有していて、そうした一連の行為が私には、自らの金のなさを「自分は高価なものを買っている/所有している」から「自分は幸せなのであり、豊かなのだ」という“錯覚”でもって無意識的に(いや、意識的に?)なぐさめているように映ったからである。

私は、金がない(あるいは、金がなくなっていく)本来の理由は、当人の物品に対する金の配分の仕方が「間違って」いるからであり、それを「正し」てやりさえすれば、それほど金に困ることはないだろうと思うのだが、おかしなことに、彼の場合、自らの金のなさを「自らの金のなさを作っている原因(=高額な物品の購買と所有)」でもって慰撫していたのである。

ここに、自らが生み出した不幸を逆説的な形でもってなぐさめ、それが「うまく」いった場合には、「自分は幸せなのであり、豊かなのだ」と悦に浸ることすらできるという「事実」があると知り、わたしはひどく驚いた。なるほど、こういう「事実」がある以上、やはり彼は「シアワセ」なのかもしれない。

――と、彼に対する皮肉(イヤミ?)はこのくらいにしておくとして、ここでわたしが本当に言いたいのは、そういうことではない。結局、お金の使い方ひとつにも(いや、お金を扱うからこそ)、それ相応の「哲学」というものが必要なのではないか、ということである。



自分の好きなものや、「これには価値がある」と思うものに対して、お金を払うという行為を、わたしは一切否定するつもりなどないし、普通のことだと思っている。

だが、お金を払って所有したそれが、果たして本当に「今の自分」(何度も言うように、地位や収入や社会的立場など)と「つり合って」いるのかどうか、という点まで考えなければ、結局そのモノに自分が「所有させてもらっている」だけで終わってしまうと思うのである。

よく「お金がない」「金欠だ」と言う人は、ただ単にお金がない(=モノとしての紙幣がない)だけなのではない。そういう人は初めからお金を「持っていた」のではなく、お金に「持たされていた」だけなのであり、(不幸なことに)そのことに気づいていない人でもあるのだ。



彼(女)には、「自分は“お金”を“所有”しているのだ」というリアルな感覚が乏しい。だから何かと消費に走るのだろう。もし、「自分は“お金”を“所有”しているのだ」という感覚が強ければ、「お金を使うとはどういうことか」「お金を使った結果どうなるのか」「そのモノをお金で買うことで何が起きるのか」ということまで、頭が働くはずである(端的に言えば、「無駄遣いをしない」ということだ)。

逆の見方をすれば、「今の自分」と「つり合わない」モノを買うということは、このように頭が働いていないということであり、もっと言えば「自分は“お金”を“所有”しているのだ」という感覚が強烈なまでに薄いということである。

本当のお金持ちは、急にお金持ちになった、いわゆる「成金」とは違って、お金をたくさん持っているからという理由で不相応な豪遊などしない。彼らは、「自分は“お金”を“所有”しているのだ」という感覚が非常なまでに鋭敏だからこそ、「お金持ち」なのであり、また「お金持ち」として居続けられるのだ(もっと砕けた言い方をすれば、彼らは「お金を大事にする」ということである)。

一方、「成金」は、成金になった後で急に失敗するケースが多いように映る。彼らは「お金持ち」で居続けることができない。というのも、彼らの場合「お金持ちになった」という事実と感覚ばかりが先行してしまい、「自分は“お金”を“所有”しているのだ」という感覚が所詮は、二の次三の次程度のものでしかなくなっているからである。

もしも、お金持ちになりたいと思うのであれば、“まずは”徹底的に「自分は“お金”を“所有”しているのだ」という感覚を持ち、それを忘れないことから始めればよい。そして、例のわたしの先輩のように、今の自分が持っている金の少なさを「自らの金の少なさを作っている原因(=高額な物品の購買と所有)」でもって慰めるといった行動に走らないようにすることだろう。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。