2014/10/26

思い出に残る落語 ― 芸術祭寄席に行ってきた

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思い出に残る落語だった。おそらく、今日のようなトリの落語を観るのは、これが最初で最後だと思う。

――いよいよ、最後の落語となった。前座がめくり(噺家の名前がかかれた紙)をめくると、出てきた名前は「柳家小三治」の五文字。本日の大主役である。姿を現すと、すかさず「待ってました!」の声が掛かった。

この日、小三治は何と弟子の前座から服を、同じく弟子でこの落語会にも出た柳家喜多八から羽織を借りて出てきた。当人曰く、「忘れた」らしい。もう既にやることが落語になっている。そうか。きっとこういう人でないと、人間国宝にはなれないのだろう。

そんな小三治が、大方まくらを語ると、羽織を脱ぎ始めた。が、なぜか脱ぎっぱなしにして自分の後ろには置かず、きちんと畳み始めた。こんな噺家、正直初めてである。会場からは、予想外の行動に笑いが起こる。

畳みながら喋り始めた。「前座の時、よくこれをやりました」「入門して、最初にやる修行の一つが、羽織を畳むことなんです」少々俯き加減で、そう語っていた。

かと思いきや、しばらく経つと今度は、別の前座時代の話が始まった。「よく、師匠からは『芸は盗むものだ』『見て覚えろ』と言われました。今は世の中が、何か言われないと行動できなくなっているでしょ? マニュアル通りに行動するようになってしまっている」無論、小三治だから、こんな若干辛気臭い話でも笑いを取っていく。

長いまくらが終わって始まったのは、「長短」という噺。気の長い人と気の短い人ふたりが出てきて、滑稽なやりとりをするという筋だ。

一通り語り終え、小三治はお辞儀をした。客は皆、ここで「ああ、もう終わりか」と思ったに違いない。私もその一人だった。拍手に包まれ、終わりのお囃子が始まると、突然彼は、お囃子をやる前座に向かって、「ちょっと待って」と止めさせた。客席に向かい「もう少しお付き合いを」と告げたのだ。再び拍手に包まれる。

ここからまた、彼は自分の前座時代の話を始めた。前座の身分でやってはいけない噺をやって、師匠に怒られた話、さきほどやった噺(「長短」)が、前座時代は得意中の得意だったが、今は苦手だという話――。

聞いていて、私はふと思った。やたらと前座時代の話が多いのである。小三治の中で、この前座時代を振り返りたい何かがあるのだろうか。

聞きながら考えていた時、ピンと来た。そう言えば、今日は前座から服を借りていた。もしかしたら、その服を着たことが、自分が前座だった時と重ね合わさっていたのではないか、と。だとすると、今日「長短」という噺をしたのも、それは自分の前座時代を敢えて振り返るためにやったのではないか――

どれもこれも、すべて私の憶測に過ぎない。が、どうにもこうにも、そう思えて仕方がなかった。この「長短」という噺、得意中の得意だったのは昔のことで、小三治は今、「苦手だ」と言う。ではなぜ、その噺を「わざわざ」したのかと考えると、前座時代を思い返したい何かが小三治の中にあったのではないか、としか感じられないのである。

語っている姿は、どこか寂しそうで、どこか感慨深そうだった。私には、そう見えた。「人間国宝」という、芸事の頂点に立った人が、である。否、頂点に立ったからこそ、逆に寂しいのかもしれない。何かを思い煩わざるを得ないのかもしれない。

この間、小三治が人間国宝になった時の会見記事を読んだ。「噺家が人間国宝になると、それまでの入場料が、“拝観料”に変わるのですね」などと言っていたのが、ものすごく印象深かった。言わずもがな、これは一噺家の視点から見た、「人間国宝」という制度に対する皮肉だ。

もしかしたら、この人は己が人間国宝になったことを、心の底から喜んではいないのかもしれない――小三治の「後まくら」とでも言うべき話を聞いていた時、ふとそう感じた。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがある。おそらく、小三治のような人を指す言葉なのだろう。苦手な「長短」をやったのも、前座だった時の気持ちを見つめ直したかったからなのかもしれない。人間国宝になった自分を戒めるためだったのかもしれない。

この「後まくら」に笑いはなかった。あったのは、ただひたすら「芸に打ち込む独りの噺家」の姿だった。それが、私の中では忘れられない。

「ああ、いい“落ち”だったな」と思った。笑いという“落ち”のない、思い出に残る“落語”だった。
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2014/10/25

本当に格好良い生き方 ― 『知的生活の方法』

知的生活の方法 (講談社現代新書)知的生活の方法 (講談社現代新書)
(1976/04/23)
渡部 昇一

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私は、知的でない人や知性を感じさせない人が本当に嫌いである。無論、私自身もそのような人間にならないように心掛けているし、そのための努力なら、決して惜しまない。

大学を卒業して以降、こうした思いが私の中でより強まっている。というのも会社にいると、意味のない雑事に巻き込まれたり、どうでもいいような人間の相手をしてやらなければならなかったり、くだらないことに頭を悩ませなければならなかったり、といったことが続くからである。

そしていつからだろうか、「こんなことが続けば、自分の知的体力や好奇心が衰えていくのではないか?」という思いを抱くようになった。私にはそんな状態が耐えられないし、考えるだけでもゾッとする。

本書を取り上げたのは、そういう日頃の思いからである。私はこの本を大学生の時に借りて初めて読んだが、今回買って新たに読むことにした。

別にどうということもない、読書論やら勉強法やら人生論やらが合体したエッセイである。だが、それでも「わざわざ」買い直したのは、中身が興味深いからという理由はもちろん、本棚に飾っておくだけでも、今後知的生活を送ろうと決心した自分に対する「戒め」になるから、という理由もあるのだ。

大学卒業以降、この本の教えを「信仰」し、あるいは実践していることは、主に次の2つである。

・「金で時間を買う」という発想を持つ
・本代は身銭を切る(本代をケチらない)

大学時代の私は、ロクに金を持っていなかったので、上2つの教えに感銘を受けつつも、実行は容易でなかった。しかし、社会人ともなれば金が入る。そこですぐにこれらを実行するようになった。

そしてこれらに加えてもう1つ、意識していることがある。それは、「大学図書館を積極的に利用すること」だ。

無論、「タダで本が読めるから」という理由から利用しているのではない(それだと先と矛盾してしまう)。そうではなく、「知的空間」たる「大学図書館」に、己の身体を置くことが、自らの知性を活性化させることに繋がる、ということを経験的に知っているからである。

本当に幸いながら、私の勤務地は、自分の母校のすぐ近くにある。だから退社後、あるいは休日に定期券を利用して、無料で且つすぐに大学図書館へ足を運べるのだ。私の場合、「知的生活」を快適に送るための土壌が整っていたのである。

以上3つ、「知的生活」を送るための条件を挙げてみたが、最後に1つ、本書に出てくる好きな「気概」を書いておこう。

しかし無理をしてでも本を買い続けるということをしていない人が、知的に活発な生活をしている例はほとんど知らない。新聞や週刊誌ならすぐ読めるけれども、本はすぐよめるものではない。特によい本は、いつになったら読めるかわからないことがある。そんな本のために豊かでもない財布から、なけなしの金を出すということは異常である。その金でレストランに入ればおいしいビフテキが食えるし、ガールフレンドと映画に行って食事をし、コーヒーも飲めるのだ。そういうことをするのに金を使うのが日常的ということであり、そうしないで、すぐには読めそうもない高価な本を買って、すき腹をラーメンで抑えるというのが知的生活への出発点と言ってよい。知的生活というのは日常的な発想に従わない点で、そもそも出発点からして異常な要素があるのである。(p.78)

初めてこの箇所を読んだ時、強烈なインパクトを受けた。要するに、自らの生活を進んで「日常的」(庶民的)なものにしない、ということなのだ。知的生活を送るというのは、ある部分において自ら「孤高」でなければならないし、ある部分で「栄華の巷低く見て」の精神がなければならないのだと思う。

それではなぜ、私はかくも、日々の生活ひいては生きるという上で、「知的であること」に拘るのだろうか。

それは、「人から尊敬されたいから」とか「女性にモテるから」とか「収入が上がりやすくなるから」といった、よくありがちな思いからではない(無論、まったく微塵もそういう気持ちがない、と言ったらウソになるが)。突き詰めて考えていった結果、それが結局、私にとって、絶対に守るべき究極の「道楽」であり「尊厳」だからだと思う。「知的生活」も含めて、「知」そのものが、私には「道楽」であり「尊厳」なのだ。だから冒頭でも述べた通り、「知」あるいは、「知」がある環境に対し、かくも必死になるのである。

知的生活――なんと、格好良い響きを放つ言葉だろう。誰が何と言おうと、私は息絶えるまで、これを全力で続ける。
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