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2013/02/09

ブログにおける「自分語り」の素晴らしさ

「自分語り」というのは、おそらく「ネット上で嫌われる行為」ベスト5にランクインするのではないかと思う。べつにこちらから聞いてもいないのに、自分のことを語るというのは、確かにウザい面もあるだろう。

しかしそれは、「リアルにおいては」という条件付きだと思う。ネット上では、むしろ「自分語り」をしてくれるブログの方が、僕は好きだったりする。

「自分語り」というのは、「自分史」の一部分を語ることだ、と僕は思っている。自分のそれまでの体験、そしてそこから得られた、自分なりのものごとに対する考え方――

こういったものがなければ、「自分」を語ることはできない。つまり、「自分」を語るとは、自分の歴史(=自分史)を語ることと、ほとんど同じなのだ。

そういった「個人的な歴史」というのは、一見すると「その人だけの歴史」のように思えるが、実はけっこう、他の人にも当てはまるような、「普遍的」なことだったりする。

実際、僕の経験からの話だが、「自分語り」を積極的にしているブログを読んでいると、そのブログを書いた人のみならず、僕個人にも当てはまることを多々発見できるのだ。




話は若干変わるが、僕は新聞の書評欄やネット上の書評サイトをもとにして、本を買ったことがあまりない。このことに自分で気づいたのは、わりと最近である。しかし、僕自身、本が好きで、こうして本の感想を中心にしたブログを立ちあげている。

にもかかわらず、なぜ、他の書評から刺激を受けないのだろうか。その理由は、そういった書評には、書いた人の「自分」が表れていないことがほとんどで、読んでもおもしろくないからだ。つまり、取り上げた本をダシにして自分語りをするということが、ほとんどされていないのである。

その本を読んで、その人が思ったことや感じたことをそのまま書いてくれればいいのに、と思うところを、わざわざ衒学的に書かれてあったり、無理に小難しく言い回してあったり、というのが、新聞の書評や書評専門サイトには多い気がする。

もっと気楽に、本をダシにして「自分語り」をすればいいのではないか、と思うことがしばしばだ。それに、わざわざその本にどんなことが書かれてあるのか、詳しく説明しなくとも、その本の目次を見れば、何が言いたいのかはすぐに見当がつく。




ネット上で「自分語り」をすることは、必ずしもリアルの世界と同じように、マイナスに働くわけではない。なぜなら、そういった「自分語り」している人が嫌いな人は、そもそもそういったブログを見ないからである。

リアルの世界のように、ネット上では「人付き合いで仕方なく、その人の“自分語り”を聞かないといけない」といった状況になることはない。「嫌なら見なくていい/やらなくていい」が、ネット上では簡単に成り立つのだ。

つまり、ネット上での「自分語り」はマイナスに作用しないのである。むしろ、プラスに働くことのほうが多いと僕は思う。にもかかわらず、「自分語り」をためらう人が、わりと多いように見受けられる。

これは、日本流の「個を出さない」という教育のタマモノだろうが、それに加えて考えられるのが「客観的」というものに対する、ある種の「信仰」である。

学校の時の作文や論文を書くときなど、ぼくたちは「“客観的に”ものごとを述べなさい」とよく言われてきた。特に、高校生以降になると、こうしたことをよく言われるようになる。とにかく「客観的」であることが、なにか「良いこと」のように吹き込まれてきた感が、僕には強い。

一方、「自分語り」とは、そういった「客観的」なるものとは対極に位置するものだ。「自分」のことは、一見すると、どれも「主観的」なもののように感じるから、その人にしか当てはまらない、その人にしか役立たない――そういった見方というか信仰というか、そんな考えが「自分語り」という行為には向けられているように感じる。

しかし、さきほども言ったように、僕の経験からすると、ある人の「自分語り」にも、他の人に通じる「普遍性」があるのだ。決して、「その人のなかだけで終わる話」ではないのだ。そこに書かれてある「自分語り」は、読み方を変えれば、いくらでも「私個人」のものにすることができるのである。




僕が、「自分語り」のブログだけに限らず、身辺雑記的なエッセイが好きなのも、そういった理由からである。

特に好きなのは、中村うさぎさんのエッセイ(『愛という病』など)だが、彼女の個人的な話には、笑えるおもしろさも、「普遍性」も含まれている。決して、「中村うさぎ個人のなかだけで完結する話」ではない。うさぎさんの「自分語り」を、そのまま僕の「疑似体験」として、変化させることができるのである。

無論、彼女はプロの物書きだから、素人の書くブログと同列に語るのは無理があるだろうし、うさぎさんにも失礼なことだろう。しかし、プロのエッセイにせよ、素人のブログにせよ、「“自分語り”には“普遍性”がある」という点においてはどちらも共通している。違うのは、「自分」というものの「語り方」である。

そんなわけで、いま僕自身の、あらゆるブログに対する願望は、「みんなもっと、自分語りをしてくれたらいいのに」である。リアルではしづらいからこそ、ネット上ではやれるのだし、やる価値があるのではないかと思う。「自分語り」というものは。



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