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2013/03/06

『イエスマン』 ― 「イエス」と言ってはいけない

イエスマン “YES”は人生のパスワード 特別版 [DVD]イエスマン “YES”は人生のパスワード 特別版 [DVD]
(2010/04/21)
ジム・キャリー、ゾーイ・デシャネル 他

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内容紹介(Amazonより引用)

もしも、全てに“YES”と答えたら?
ジム・キャリー最新作
実話に基づく愛と笑いのポジティブ・ストーリー

仕事にもプライベートにも「ノー」「嫌だ」「パス」と答える極めて後ろ向きの男、カール・アレン(ジム・キャリー)。 親友の婚約パーティーまですっぽかし、「生き方を変えない限り、お前はひとりぼっちになる」と脅されたカールは、勇気を振り絞り、とあるセミナーに参加。“意味のある人生を送るための、唯一のルール”は、全てのことに、それがどんな事であっても「イエス」と言うだけ。何事も否定せず「イエス」を連発、偶然知り合ったアリソン(ゾーイ・デシャネル)は、彼の積極的でユーモアのある人柄に惚れ込む。人が変わったように運気をどんどん上げていくカール。 だが全てが好転し始めたとき、思わぬどんでん返しが待っていた・・・?

全てに“YES”と言ったらどうなるか、を実際に試してみたBBCラジオディレクターの体験実話が原作の『イエスマン “YES”は人生のパスワード』。

こんな時代だからこそ・・・笑って、ぐっと来て、とことん前向きに。

コメディー映画はあまり見ないタチなのだが、ゲオで本作が何本も置いてあったので、気になって借りてみた。

おもしろかった。思わず、なんども笑ってしまった。あらためて、ジム・キャリー(主人公)は、こういったコメディーものにはメッポウ強いな、ということを感じさせられた。


で、どんなストーリーかというと、上にも引用したように、とある冴えない銀行マンが、有名な自己啓発家に出会い、自分の人生を変えていく、というもの。変えていくやり方というのが、ただひたすら、あらゆることに対して肯定する(“Yes”と言っていく)、という簡単なものだ。


ところで、この映画のタイトルは「イエスマン」(原題も“Yes Man”)だが、周知のとおり、この言葉は、

人の言うことに何でも「はい、はい」と言って、無批判に従う人。「―ばかり登用するワンマン社長」(『大辞泉』)

という、あの「イエスマン」を思い起こさせる。で、これは和製英語ではなく、

a person who always agrees with people in authority in order to gain their approval (Oxford ADVANCED LEARNER’S Dictionary 7th edition)

と、本家本元の英語にも、この“yes-man”という言葉(概念)はあるのだ。


それで、わたしは映画を見終わったあとに、ふと気づいたのだが、この映画に隠された「本当」のメッセージとは、「イエスと言う(=現状を肯定する)ことで、人は人生を幸せに送れる」ということではなく、むしろ「“イエスマン”をやめることで、人は人生を幸せに送れる」ということだったのではないだろうか?

つまり、タイトルの「イエスマン」は、本当は「皮肉」であり「逆説」なのではないか? というのがわたしの考えである。


こんなふうに考えられる根拠というのが、映画の最後のほうに出てくる、ワン・シーンだ。

主人公はそれまで、あらゆるコトや人に対し、「イエス」と言ってきたのだが、それが裏目に出てしまう「事件」(=主人公が恋人と喧嘩してしまう)に遭遇する。主人公は「イエス」と言い続ける人生において、はじめて「挫折」を味わったのだ。

そんなとき、彼は、例の自己啓発家にまた出会う。自己啓発家は、「たしかに、わたしは“イエス”を言いなさいとは言ったが、それはあくまでも“自分が心の底から納得したものや、肯定したいものに対して”という条件付きだ。だから君は、勘違いしていたのだ」と、主人公の誤解を指摘する。


このことに気付かされた彼は考えを改め、ふたたび元気を取り戻し、みごとに恋人との仲直りに成功するのである。


ここで、物語の筋をもう少し簡潔に書き直すと、


ネガティブ思考だった主人公は、仕事も恋愛も失敗続き。

自己啓発家に出会い、あらゆることに「イエス」と言い続けることを決意。

これにより、一時のあいだは、順調な人生を歩む。

ところが、「イエスマン」になったことで、それまでうまくいっていた彼女と、ひょんなことから喧嘩してしまう。

「“イエス”と言うときは、本当に、心の底から納得したものや、信用できるものに対して、するべきだ」と考えを改める。

みごとに、恋人との仲を復活させる。


つまるところ、恋人との喧嘩をきっかけに、主人公は、それまでの「イエスマン」としての自分を「やめた」のだ(だからといって、もとのネガティブ思考に戻った、というわけではないが)。それによって、彼がもっとも望んでいた本当の恋を、成就させることができたのである。

そんなわけで、この映画は、単なる「ポジティブ・シンキングを始めた男のサクセスストーリー」などではなく、実は「ポジティブ・シンキングを“やめた”男のサクセスストーリー」だった、とも読めるのだ。

要するに、前者と後者、どちらの「読み」を取るかで、この映画は「意味」がまったく変わってしまうのである。なので、わたしは見終わって少しした後、「あっ、なるほど。これはうまいな~」と、改めて本作の「意味」に気付かされ、その「秀逸さ」に舌を巻いた次第だ。


ところで、この映画の主人公にかぎらず、現代日本においても、こうした「ポジティブ・シンキング神話」は根強いように感じる。なにかこう、「常に前向きに生きることこそ絶対善」であるかのような「信仰」が強いのではないか。

わたしは、どちらかと言うと、ポジティブ・シンキングをする人間ではない。というか、できないといったほうが正確だ。先のことには、なにかと不安になって、後向きに考えてしまうことが少なくない。そんなものだから、以前、知人から「お前はどんだけネガティブなんだよっ!」とツッコまれたことがある。

でも、わたしはそのほうがストレスが溜まらないので、むしろ「気楽」だ。「ポジティブに考えよう」→「ポジティブに考えなければ」という、無自覚的な「強制」がないからである。


それに、「ポジティブ・シンキング」というのは、見方によっては「現実逃避」のようにも思える

ポジティブ・シンキングは、本当は納得できないし、肯定もできないような現実を、なかば無理やりに「良く」捉えようとする考え方だ。だから、「『良く』捉えることで、本当は『良くはない』現実から、目を背ける」という思惑が、少なからず見え隠れしているように感じる。

イヤなものは、やっぱりイヤだ、ツライものは、やっぱりツライ、というのが生物感情の「原則」ではないだろうか? イヤなものは、はっきりイヤだと、ツライものははっきりツライと認めることのほうが、イヤなもの、ツライものをポジティブに捉えようとする態度より、よほど「負担」がないように思う。(このことについては、心理学的にも事実なようである。詳しくはこちら


このことは、この映画についても言える。

「イエスマン」という偽りの仮面を取り去ることで、主人公は、己が「本当に」望んでいた恋愛を実らせることができたのだ。おそらく、あのままずっと「イエスマン」を続けていたら、他人に「イエス」を言うことはできても、自分、そして自分が本当に愛する人に対しては、真の「イエス」を言うことはできなかったのではないか。だから、この映画の副題「“YES”は人生のパスワード」は、正確には、「本当の“YES”は人生のパスワード」なのだと思う。

ということで、この映画、けっこう「意味深」な、自己啓発映画だった。


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