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2013/06/16

やっぱり「霊」は、いる ― 『現代霊性論』

現代霊性論 (講談社文庫)現代霊性論 (講談社文庫)
(2013/04/12)
内田 樹、釈 徹宗 他

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「霊」なんて、学問的研究対象にはならないだろうと思っていたが、内田樹いわく、「霊」には「現象学的アプローチ」が可能だという。

 われわれは、「霊」に対して「これが“霊”です」と指し示すことはできない。しかし、たとえば神棚を設ける風習や、正月にたくさんの人が初詣に行く風習、民放の朝のニュース番組や週刊誌などで、「今日の運勢」などといった占いのコーナーが用意されていることなどを見ればわかるように、昔は言うまでもなく現代においても、決してわれわれは「スピリチュアルなもの」と無縁に生きているわけではない。

こうした「スピリチュアルなもの」がわれわれの中に根付いている背後には、「明確に“これ”と指し示すことのできないもの」としての「霊」、言い換えれば「万人がみな、“これが霊である”と認める確かな“霊”(=指し示せるものとしての「霊」)」はないけれど、しかし「どこかには存在すると“仮定”された霊」というものを考えているからではないか。

だとしたら、「霊」そのものを「実体」として把握しようとするのではなく、「霊」にかかわるありとあらゆる「現象」(神棚を設ける、初詣に行く、占いのコーナーがある、etc)を考察することで、「霊」という「捉えどころのないもの」の「姿」や「機能」を捉えることができる――これが、内田の言う、霊に対しての「現象学的アプローチ」である。

「霊」というものを真正面から捉えようとするのではなく、「霊」にかかわる様々な社会現象から「じゃあ、“霊”ってなんだろう?」と考えてみたらどうか――なるほど、こういう発想は今までまったくなかったね。



そんなわけで、わたしも「霊」にかかわる様々な社会現象から「じゃあ、“霊”ってなんだろう?」と考えてみた。もちろん、内田の言う「現象学的アプローチ」で。

そこで1つ気づいたのは、「霊」の「本質」って「人を縛る」ことではないか、というものだ。神棚を設けることも、初詣に行くことも、そして占いが根強く人気なのも、どれも「気分的に落ち着かない、不安定な(=安心感が得られない)“わたし”」を精神的に「縛る」ことで、「気分的に落ち着いた、安定な(=安心感を得た)“わたし”」へと変えてくれるものだからではないか。

神棚を設けようとするのは、「神様に守ってもらえる」といった「安心感」が得られるからだろうし、初詣に行こうとするのは、お賽銭箱の前で願った「こうであってほしい今年一年のわたし」を「神様」に伝えることができたという「安心感」が持てるからだろう。

また、占いコーナーが人気なのも、占ってもらうことで、今日一日を「なにがおこるのかわからない」不安感を抱えながら過ごすより、「今日一日、こんなことが起きやすいですよ(→だから、◯◯しておきなさい、☓☓は控えなさい)」という情報を仕入れたことによる「安心感」でもって過ごしたい――言い換えれば、そういった占いの言葉に「縛ら」れたい、「縛ら」れることで「心の安定」を得たいと願う人が多いからではないだろうか(こういうのを「言霊」(=言葉の霊)信仰というのだろうか?)。

つまり、「霊」の「本質」は、われわれの「なにかに縛られたい」という気持ちの「発現形態」ではないかと思う。われわれは、「霊」という、この世に存在すると確定できないものを、あえて「存在する」と仮定することで、良くも悪くも、「不安定な自分」から「安定した自分(=「縛」られた自分)」になりたいのだ。

そう考えると、人間というのはどこまでいっても自由から「逃走」する生き物なんだな~なんて思えてしまう。言葉とか情報とか、儀式といったものによって精神的に縛られたい、縛られることで安心したい――「マゾ体質」な生き物なのだと思う、人間っていうのは。

よく、「いまの人間関係がもうイヤになった」とか「他人が自分のところへ介入してくるのがうっとうしい」とかいって、そういったつながりをすべて断ち切ってみた結果、「なんかさみしいな・・・」「独りになるってけっこうツライんだな・・・」っていう気持ちになることがあるけど、これってさっきの「霊」の話と構造が似ているような気がするね。人間関係に縛られないっていうと、なんだかすっごく清々した気分になりそうだけど、実際はある程度縛られないと、不安感や孤独感に悩まされたりするんじゃないかな?

この本を読むまで、正直に告白すると「占いなんか信じるヤツって・・・」みたいに思っていたけど、決してわたしも「霊」の「呪縛」から自由ではないんだな~ってことに気づかされた。誰でも程度に差はあれ、「縛られたい」という「マゾ体質」を抱えている。まあ、真の「マゾ」になってしまうのは問題でしょうが。

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