2014/01/03

【歌舞伎座】壽初春大歌舞伎《昼の部》

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本日、初春大歌舞伎2日目の観劇。昨日と変わらず、東銀座駅内と3番出口周辺には警察も何名か出動していた。たかが演劇鑑賞とはいえ、わざわざ警察が出てくるのは、歌舞伎くらいなものだろう。明らかに他の演劇とは扱われ方が違う、ということか。

さて、今回の昼の部最大の見ものは、最後の演目『鴛鴦襖恋睦』(おしのふすまこいのむつごと)だと思う。染五郎と橋之助の相撲を、長唄囃子連中の奏でる音――三味線、鼓、横笛の音――とともに見るのは本当に最高だった。日本人なら誰もがその音とともに、相撲中、役者の見せる見得に惹きこまれるに違いない。

3番目の演目「松浦の太鼓」――これはもうセリフばかりの話で、どうにもこうにもピンと来ない。うたた寝すること、何度かあり。というのも、『鴛鴦』のように役者や鳴物に魅せられないからなのだ。その一方、話にボケが多く、会場全体が笑いに包まれることが幾度かあったが、それでもやはりわたしにはおもしろくない。歌舞伎に「笑い」は求めていないのだ。

『鴛鴦』のインパクトがあまりにも強かったせいか、2番目の演目「梶原平三誉石切」(かじわらへいぞうほまれのいしきり)は、見終わった直後は後味が良かったものの、『鴛鴦』終了後には、何も感じなくなってしまった。登場人物に対する感情移入も、いつのまにかなくなってしまっている。ましてや「時平の七笑」(最初の演目)なぞ、もはや内容が頭の中から吹っ飛んでしまっている。

当たり前の話、歌舞伎はストーリーも重要な要素だが、それ以上に重要なのは、役者の話し方や衣装、舞台セットや装置、そして鳴物やツケといったBGMや効果音などだと思う。つまるところ、一見なんということもなさそうなものや、ストーリーに直接影響してこないようなものが、歌舞伎最大の魅力だったりするのである。

おそらく、このことが感情的に(理性的に、ではなく)わかるかどうかが、歌舞伎好きになれるかどうかの大きな分かれ目である気がする。無論、ストーリーがおもしろいものもあるだろう。しかし、テレビドラマなどの現代劇にどっぷり浸った人間が、どうして歌舞伎のような、単調なストーリーに満足できようか。

そんなわけで、これから気が向き次第、歌舞伎のこともこのブログに書いていこうと思う。(とはいっても、歌舞伎の学術的な話やごくごく専門的な話などできないし、ほとんど興味もないので、純粋に劇場内で感じたこと、思ったことをつらつら書いていきたい。)
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