2011/02/21

いるモノ、いらないモノ ― 『大局観』

この本を読んでて、この記事を思い出した。


東京プラス社長 西村博之氏インタビュー - GREEキャリア


この二人の話してることって、まさしく羽生さんが言わんとしていることと同じなんだよなあ。



大局観  自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21)大局観 自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21)
(2011/02/10)
羽生 善治

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第1章 大局観(検証と反省;感情のコントロールはどこまで必要か ほか)
第2章 練習と集中力(集中力とは何か;逆境を楽しむこと ほか)
第3章 負けること(負け方について;記憶とは何か ほか)
第4章 運・不運の捉え方(運について;ゲンを担ぐか ほか)
第5章 理論・セオリー・感情(勝利の前進;将棋とチェスの比較 ほか)



まずは、「大局観」という言葉の定義から。(大辞泉より)


大局観(たいきょく-かん) ― 物事の全体的な状況や成り行きに対する見方・判断。


ちなみに、「局」の字は、「局面」(将棋や囲碁、チェスなどの試合状況)のことだ。字面を追って解釈すると「大きく局面を観る」という意味になるだろうか。


で、次の一文が非常に興味深い。


《体力や手を読む力は、年齢が若い棋士の方が上だが、「大局観」を使うと「いかに読まないか」の心境になる》(p23)


「いかに読まないか」は「いかに読む手の数を減らすか」と言い換えて差し支えないだろう。



私はすっかり誤解していた。羽生氏ほどの棋士であれば一つの局面ごとにものすごい数の手(情報)を読むと思っていたが、むしろその逆で「読まない」つまり、「読む手の数を捨てて減らす」ことに主眼を置いていたのだ。


この「捨てる」「減らす」という考え方は、本書の至る所で表れている。




《情報化社会を上手に生き抜いてゆく方法は、供給サイドに軸足を置くことだと思う》
(p126)


《所有過剰で管理が難しくなってきたと思ったら、思い切って売り払ってしまうなり、人に譲ってしまうなりして、手放してしまう方が良いのではないか》(p175)


《たくさんの可能性のなかから一つを選択する方が、少ない可能性から一つを選択するより後悔しやすい、という傾向がある》(p24)





どの発言にも、その根本に「捨てる」「減らす」の精神が見て取れる。「供給サイドに軸足を置く」というのも、「自らが情報を創る側に回ることにより、情報の受容量を減らす」ことである。


余談だが、3つめの「選択肢の数」については、シーナ・アイエンガー著『選択の科学』でもほとんど同じことが述べられている。詳細については同書を参照されたし。







どこでだったか忘れたが、「2ちゃんは便所の落書き、ツイッターはクソの垂れ流し」という文句を見たことがある。現代の情報化社会を風刺しているが、7割方合っているといっていいだろう。


情報がこれだけ膨大に垂れ流されている時代だからこそ、「この情報はいらん!」と割り切ってしまった方が本当は楽なのだ。これからの時代は「どうやって必要な情報を探し出していくか」ではなく、「とにかく捨てて減らして、残ったものが必要な情報だ」という消去法で考えた方が賢いのだろう。(そうでないと、自分自身がパンクするかもしれない!)


で、冒頭で挙げた対談と羽生さんの考え方というのも、つまるところ、この「捨てる」「減らす」が共通しているのだ。



《僕自身は、基本的に「二択」だと思っています。普通、人間にはいろいろな願望や欲望がありますよね。例えば「車が欲しい」とか、「おいしいものが食べたい」とか。

一つは、こういうある種、煩悩的なことを、どんどん少なくしていくということで、自分の幸せの定義の認識を変えていこう、という考え方。ひろゆきさんの考え方の根本原理に、近いですよね。求めるものを少なくすれば、満ちるのも早くなるし、喪失感も少ない。「年収300万でも幸せ」的な考え方です。

そしてもう一つは、こういう願望や欲望を一つの自分に活力を与えるエネルギーとして活用して、自分の人生を前進させていくという考え方。「あの人のようになりたいから努力する」とか、「いい結婚式を上げたいから、お金を貯めるために仕事がんばろう」とか。

両方の選択肢があり、善悪なくどちらも一つの解だと思うのですが、僕としては、後者から取り組んで、だめなら、前者に移行する、というのが現状の取り組みです(笑)。》


(引用:東京プラス社長 西村博之氏インタビュー - GREEキャリア



なにも捨てる対象は「便所の落書き」や「クソ」だけではない。無限に増える「欲」にも、この「捨てる」「減らす」の考え方でやっていこうというわけだ。


最近、書店でよく仏教関連の書籍を目にする。需要があるからなのだろうが、もしかしたらこの仏教的な「捨てる」「減らす」思考が注目されているからなのかもしれない。過剰にモノを抱え込まないで、身の丈に合った分だけ所有する。その方が楽なんじゃないかと皆が気付き始めたのだろう。


放っておけばどんどん増えていくモノは、自分から積極的にどんどん捨てて減らす ― 上手に生きるというのは、すなわち「身軽に生きる」というのと同じことか。
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