2014/06/10

先送りできることは、どんどん先送りしていい

「先送り」というのは、なにかと悪者にされている。

「仕事を先送りするな」「意思決定を先送りするな」「勉強を先送りするな」「嫌なことを先送りするな」――「先送り」とくっつくのは、ほとんどいつも「するな」という言葉であり、「しろ」「すべき」とくっつくことはほぼ皆無である。

しかし、だ。なぜ、先送りするのが、無条件で「いけないこと」のように扱われているのだろうか? 先送りして、特段支障がなければ別に先送りしたって良いではないか。

わたしは、仕事をしているとき、今日やろうと思っていたことを次の日以降に先送りすることがよくある。理由は、ただひとつ。仕事は、一度手をつけてしまうと「キリがない」からだ。「キリがない」からこそ、それが行き過ぎると「残業」になってしまうのである。

色々な仕事を同時並行で進めていかなければならない状況下で、急なトラブルや仕事の注文が入ってしまうことはよくあることだ。そして否が応でも、結局それらに対応しなければならない(場合によってはつきっきりで)。

無視することはできない。かといって、そればかりやっていられるわけでもない。つまり、仕事というのは、ダブルバインド状態な中で行われやすいわけだ。そう聞くと、マジメな人は「そうならないために、早め早めに手を打って・・・」「きちんと計画を立てて、段取りよくやらないと・・・」などと思うかもしれない。だが、それができるなら、誰も苦労しないだろう。そうしたくても、できないからこそ、みんな仕事で苦労したりストレスを抱えたりするのだ。

こうした、カオスな状況でいかに仕事をさばいていくか。

それが、「先送りできるものは徹底的に先送りする」というやり方である。「誰かにせっつかれたらやる」というのも、アリだろう。

こう言うと、非常に無責任な仕事処理に見えるかもしれない。だが、仕事というのは、結局、やっている過程でなく、結果で評価されるものだ。結果さえ良ければそれでいいのである。それに一々、過程まで事細かに観察し評価してくるようなヒマな上司や先輩など、まずいないので、気にする必要などない。

営業はともかく、事務方仕事の大半は「どうでもいいような資料」の作成だったりするのが現状だ。取締役や上司がたかだか一瞥する程度や、数日経ったら捨てられてしまうような資料のために、自分の貴重な時間を削って残業するのは実にバカらしい。場合によっては、徹夜で作成なんてこともあったりするので、始末に終えない。こんなことが続ければ、それこそ体を壊したりうつ病になって出社できなくなったり、なんてことも起きてしまう。

そうならないためにも、とにかく先送りできるものは先送りするに限る。日本の教育では、幼い頃から「先送り=悪」という価値観を刷り込ませてくるが、これは社会人にとっては単なる「危険思想」にすぎない。先送りできるものは、徹底的に先送りし、怒られたり文句を言われたりしたら適当に受け流すか、とりあえずちゃちゃっと片付ければいいのだ。そんな非難をバカ正直に、真っ向から受け止めていたら自分がパンクしてしまうのだから。
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