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2014/07/22

それを「仕事にする」ということ

なにかを「仕事にする」というのは、その「なにか」とそのなにかの「周辺」に対して、色々と気にしたり配慮したり「しなければならなくなる」ということだと思う。そして、それをきちんと「こなす」ことによって、その対価である金がもらえる、というのが仕事の基本的な「仕組み」である。

この、「しなければならならなくなる」というのが仕事のミソである。「してもいいし、しなくてもいい」あるいは、「~する自由がある」ということではない。つまり、「義務」になる、ということだ。

好きなこと、あるいは趣味を仕事にする(したい)という考えは、誰しも最低一度は持つと思う。かく言うわたしもそうだった。しかし、わたしはそうしなかった。なぜなら、自分の好きなこと、あるいは趣味という領域に、「しなければならなくなる」という義務を持ち込みたくなかったからだ。そして持ち込んだら最後、そうした義務が原因で、それを嫌いになってしまうのではないか、と思ったからである。

無論、好きなことや趣味だったことを仕事にして、且つそれで安定した生計を立てている人もたくさんいる。そうなれば理想だし、幸せなことだ。しかし残念ながら、わたしにはそれを実行してみるための具体的なプランというか明確な考えというか、そういうものを持ち合わせていなかった。

だが、それよりも気にしていたのは、さきほども言った通り、「しなければならなくなる」という義務を持ち込みたくない、という点だった。それによって、自分の中の「好きだ」という気持ちを失いたくなかったのである。

早い話、「趣味は趣味、仕事は仕事」と分けて考えよう、と思ったのだ。

趣味である利点は、それに対する自分のスタンスを好き勝手に設定できる、というところである。その出来不出来や巧拙はどうだっていいし、対象である趣味に対して好き勝手な理想や妄想を抱いたっていい。とにかく自由だ。「思う存分、好きなだけ」というスタンスを取れるのが、趣味のいいところである。

一方、「仕事にする」というのは、要するに、こうした利点を手放すということだ。手放す、すなわち「自分の自由にはいかなくなる」という状態を引き受ける。その代わり、その価値を認めた人から対価として金をもらう。それが、なにかを「仕事にする」ということだ。

好きなことや趣味だったことを仕事にして、且つそれで安定した生計を立てている人たちというのは、こうした暗黙の事実に対して覚悟を決めた人たちである。他方(情けないが)、わたしにはそうした覚悟がなかった。というか、ハナから「そんなことになるくらいなら・・・」と思っていた。

こういうことを学校で教えたら、それはそれでひとつの「職業訓練」になるかもしれない。

なにかを「仕事にする」というのは、本当に重たいことだ。ある意味で、それと今後(ほぼ)ずっと「寝食を共にする」ようなことになるのだから。
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