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2014/09/05

落語「入門」ではないけれど ― 『21世紀の落語入門』

21世紀の落語入門 (幻冬舎新書)21世紀の落語入門 (幻冬舎新書)
(2012/05/30)
小谷野 敦

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昔から、けっこうこの著者の本は読んできたが、彼の書いた本で、こんなにもよく頷けたのは正直初めてだ。

タイトルには「落語入門」と打ってあるが、実は著者の落語論である。だから、落語を初めて聴こうとする人は、このタイトルを信用しないほうがいい。だが、落語好きには、大いに薦められる本だと思う。

さて、私が頷けた項を、目次からいくつか抜き出してみる。

①「テープで聴くならスタジオ録音より客がいるものを」

なぜなら、客の笑い声が入っているからだ、と著者は言う。まったくその通りだ。落語において、周りの人の笑い声というのは、重要な要素だ。「その噺の、笑いのツボが知れるから」というのはもちろん、笑い声自体が「落語」の雰囲気も作っているからである。

ほとんどの人が、落語に対して「落語は笑い話である」というイメージを持っていると思う。事実、ほとんどその通りで(そうではない噺もあるが)、だから、客のいないスタジオ録音(=笑い声がない録音)は、「落語」の醍醐味を削ってしまうことになりかねない。

そして、著者の言い分に付け加えさせてもらうと、私は「CDよりもDVDの方がおすすめ」だと思っている。CDでも、もちろん笑えるが、演者が話している姿を見られれば、そのおもしろさも増す(個人的な経験から言わせてもらうが)。というのも落語は、決してことばだけで笑わせているのではなく、表情や身振り手振りでも笑わせているからだ。

②「寄席は行かずともよい」「寄席礼賛の風潮に流されない」

Amazonでのレビューを見ると、この考えに対して、どうも反発が強いようである。しかし、私は著者のこの意見には賛成である。なぜなら、寄席に行っても7割ほどの演者が、ひどい場合は前座からトリまで、つまらないということがよくあるからだ。

③「初心者は、存命の落語家より過去の名人から」

②の続きになるが、だから過去の名人のものを聴け、というのが著者の主張だ。これもまったく御意である。結局、昔の名人の落語の方が、「ハズレ」に遭遇する確率がグッと低くなるし、聞いていて良い勉強にもなる(特に、三代目志ん朝のマクラ)。おもしろいから、聴いているこっちは夢中になる。だが寄席の場合、ヘタな落語に遭遇しまくると、初心者はひどい場合、落語そのものが嫌いになる可能性が高い。だから、初めての人は、昔の名人の落語から聴いたほうが良いのだ(ちなみに、著者は初心者は志ん朝から聴け、と言っているが、これも私と同意見である)。


ところで、読んでいて気になったのが、著者が「◯◯(落語はもちろん、スポーツや演劇、コンサートなど)は、CDやDVDで聴いたり見たりするのではなく、生で鑑賞すべきだ。そうでなければ、鑑賞したことにはならない」といった「現場主義」を批判していたことだ。この「現場主義」は結局、都会やその近辺に住んでいて、すぐにそういった「現場」へ行ける者の、勝手な言い分にすぎないのだと、彼は言っているが、なるほどと思った。言われてみれば確かにその通りかもしれない。

ただし、わたしの場合、演劇だけは、「現場」に拘っている。それ以外は、正直どっちでもいい。たとえば歌舞伎や能だと、生の「あの音」や「あの雰囲気」が、わたしはたまらなく好きだからである。歌舞伎のDVDをもっているが、いくら見ても、やはり「生」の魅力には絶対に勝てない。逆に落語は、「生」でもDVDでも、ほとんど同じように感じてしまう。

こういった感覚は、専ら個人の好みに帰する話だから、とやかく言うことではないが、ただ「現場で鑑賞、というだけが、すべてではない」という著者の意見は、それまでそれなりに「現場主義」に毒されていたわたしには、新鮮に映った。
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