2011/02/28

ハブられても、いいじゃない ― 『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』

なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 (PHP新書)なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 (PHP新書)
(2011/02)
佐藤 直樹

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第1章 日本人を縛る「世間」とはなにか―なぜ年齢にこだわるのか
第2章 「世間」における「ゆるし」と「はずし」―日本の犯罪率が低いわけ
第3章 「はずし」としての厳罰化―「後期近代」への突入か
第4章 「ゆるし」としての刑法三九条―理性と自由意思をもった人間?
第5章 「ゆるし」としての少年法―「プチ世間」の登場
第6章 謝罪と「ゆるし」―出すぎた杭は打たれない





「とりあえず」というのは実に便利な言葉である。



・パッと何か思いつかないから「とりあえず」

・特に何もすることがないから「とりあえず」

・気まずくなったから「とりあえず」



そして、本書のタイトルの一部分である「とりあえず」は、とりあえず、3番目に入る。



気まずい空気になったら「とりあえず」謝る。特に悪いことをした記憶はないけど、なんかヤバそうだから「とりあえず」謝っておこう。



この「とりあえず」という言葉、どうも「形だけでも整えておこう・・・」というニオイが漂ってしかたがない。それがいいのか悪いのかは別にして。



「とりあえず」というのは、自信のなさから口にされる場合が多い。きちんと「自分はこうしたい」「こう思う」「こう考えている」と言えない。言っても「とりあっ」てもらえない。とりあえない。



だからとりあえず、そう、「とりあえず」を使ってしまう。


なぜきちんと、言いたいことが言えないのか。



それは、「世間」が「個」に睨みを利かしているから。そこでは、個人の意思よりも集団の総意が優先される。あくまでも「和」が主なのであり、「個」はあくまでも従なのだ。



著者も言っている通り、日本人はとにかく「世間」が怖いのである。「世間」に比べれば、会社の上司や、鬼嫁なんて屁でもない。そのくらい怖いのである。



それでも日本人は「世間」に属している。いや、属せずにはいられないのだ。「世間」という強大な団体から破門されれば、そこにいた仲間たちと縁を切ることにつながるのだから。助けの手も差し出されない。アイデンティティーすら失いかねない。



孤独 ― それが怖くてしかたがないのだ。


であるならば、彼らは世間のソトに、興味がないのだろうか?



そんなことはない。むしろその反動のせいか、瘋癲(ふうてん)や流浪人といった、ちょいワルで、ちょい反社会的で、それでも自分の考えやポリシーは持っていて、という人に憧れる。そういう人は実に多い。



瘋癲といえば「男はつらいよ」でおなじみ、車寅次郎こと寅さんは今でも人気だ。最近では永井荷風も注目されている瘋癲の一人だろう。



つまり、世間のソト側にいる人達には興味があるのだ。いや、もっと言えばそういう人たちになりたいという願望まで持っていたりする。



著者は言う ― 《私がいいたいのは、徹底的に「世間」の空気を読み、「世間」をよく知った上で、あえて「世間」の空気を無視する、そういう態度が必要だということである》(p216)



「取り敢えず?だったら取り合えなくて結構。こちとら、言いたいことは言わせてもらうぜ」



言いたいことは、
言わない。
言えない。
言いにくい。
言えば言ったでKY扱い。



そんな時代だからこそ、ますます瘋癲人としての気概が必要なのだ。

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