2016/05/02

「武器」としてのミニマリズム

最近のわたしにとってのブームは、「ミニマリズム」だ。部屋の中や、職場の机の上、外出時の持ち物など、ありとあらゆる無駄な「モノ」をそぎ落とし、身軽かつ快適な生活を維持する生き方を言う。

今ではいろいろな雑誌や書籍で、この「ミニマリズム」(少し前の言い方だと「断捨離」だが)が取り上げられている。

きっかけは、『ぼくたちに、もうモノは必要ない』(佐々木典士著)を読んでからだ。この本では、部屋の中にある無駄なモノをいかにそぎ落としていくか、モノを減らすことでなぜ快適な人生を送れるのかが書かれている。

もともと、わたしは部屋や職場の机はきれいにしてきた方だと思っているが、この本と『「超整理法』(野口悠紀雄著)を読んで、よりモノを減らす方向へ動くようになった。

本や雑誌は読んだらすぐ売るようになった。ダンボール箱をひとつ用意し、読み終わったら、そこへどんどん詰めていく。いっぱいになったら、中古本の買取業者に来てもらい、売り渡してしまう。基本的に、一度読んだ本を再読することはしない人間なので、売っても後悔することはない。あとで読みたくなったら、Amazonの中古本販売で買い直せばいいのだから。

食器も捨てた。あるのはフライパンと水切り器くらいだ。一人暮らしをしているので、フライパンひとつで調理器&食器になってしまう。洗い物もプライパンと水切り器だけ。箸やコップは使い捨て(100円ショップで割り箸&紙コップを調達)だ。何も困ることはない。

服も捨てた。ユニクロで白シャツとズボン、靴下を購入している。毎回同じだから、服選びで悩むことはない。靴下は色と種類が全部同じなので、「靴下の相方探し」などしなくてよい。また、ユニクロは基本的にどこにでもあるので、必要なときにいつでも服を買いに行ける素晴らしさがある。

カーペットも掃除機も捨てた。あるのは、クイックルワイパーと科学雑巾だけ。いままで、掃除機をかけることが億劫で仕方なかったが、いまは週に一回、休日にモップがけしている。いままできちんと掃除していなかったところも掃除をするようになった。カーペットだとこうはいかない。基本的に掃除機では吸い取れないほこりなども付着してしまうからだ。いまの掃除スタイルに変えて本当に良かった。

職場では、自分向けの業務マニュアルはすべてデジタル化した。いままで、自分専用のパイプファイルを用意して、そこに紙で綴じていたのだが、このやり方だと、書類は溜まっていく一方だ。新しい仕事を覚えていくたびに、メモやマニュアル類が増えていくのは、うっとうしいし、必要な書類を探すのにも時間がかかる。しかし、いまは紙をPDF化させ、USBメモリにひたすら、書類作成日時順に突っ込んでいくだけ。フォルダを作成し、事細かに分類するやり方は一切やめた。

ちなみに、この分類せずに時間順で保管していくやり方は『「超」整理法』から学んだ。こうすることで、よく使ったり、更新したりするファイルがひと目でわかるようになった。見たいメモや書類は検索機能を使うことですぐにアクセスできる。そしてなんといっても良いのが、紙の時のように、まったくかさばらないこと。これで、パイプファイル保管とは永遠におさらばだ。

ところで先日、旅行に行ったのだが、そのとき気をつけたのが、持っていくものをミニマルにすることだった。手提げカバンは持たず、軽量小型のスーツケースひとつに衣類とその他必要な小物を入れるだけに留めた。それでもスーツケースの中をいっぱにはせず、空きのスペースを2割作ることにした。こうしておけば、旅先で何か購入しても、そこへ入れられるからだ。

目的地の駅に着いたら、スーツケースはコインロッカーに預けてしまい、スマホと財布だけの身軽な状態で旅先を楽しんだ。もはや、スマホと財布さえあれば、どこへでも安心して行ける時代だ。その結果、持ち物に煩わされることが一切なく、実に快適な旅だった。

そう。ミニマリズムは、遊びすらも快適にさせてしまうのだ。

ミニマリズムは人生において、ぜひとも自分のものにしておくべき「武器」のひとつだと思う。こうした発想や考え方があるかないかで、生活の質、ひいては精神状態が大きく違うからだ。

もともと、わたしはこういう考え方が好きだったのかもしれない。だから、そういう意味で、ミニマリズムはその人の性格との相性が重要になってくるのだろう。しかし、何度も言うが、ミニマリズムは強力な「武器」だ。味方につけるべき発想だ。
関連記事