2011/03/03

「闇」を排除しようとする現代の「病み」 ― 『暴力団追放を疑え』

暴力団追放を疑え (ちくま文庫)暴力団追放を疑え (ちくま文庫)
(2011/01/08)
宮崎 学

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プロローグ ヤクザが消えた街
第1章 暴対法は誰のために
第2章 頂上作戦の今と昔
第3章 変わっていくヤクザ
第4章 アホな正義に騙されるな
第5章 福岡県警による言論規制
第6章 相撲界と「暴力団」
エピローグ ヤクザもいる明るい社会
清潔なファシズムへの道 あとがきにかえて



ケータイにはフィルタリング機能というものがある。未成年の子供に有害なサイトを見られないようにするアレだ。


ここ最近は携帯各社のみならず、メディアでも盛んにこのサービスを導入するよう、親たちに促している。


確かに子供の安全を第一に考えれば、大事な機能かもしれない。しかし私自身、このフィルタリング機能はいらないと思っている。


そもそも、なぜ、そういうサイトをシャットアウトしてしまうのだろうか?別にそういうものに興味があるなら、見せてもいいではないか。オトシゴロの男の子、女の子は自然とそういうアブナげな、“オトナなもの”に興味をもつ。極めて普通のことである。そういう“極めて普通のこと”を押し殺そうとするのはいかがなものか。


たしかに危険なサイトは多い。犯罪被害防止のためを考えれば必要かもしれない。だがそれなら、もっと根本的な方法を取ったほうがいいと思う。


私が親だったら、まず「なぜ危険なのか?」ということをきちんと教える。いきなり排除するようなことはしない。そういうサイトを実際に子供に見せて、一緒に「研究」するだろう。



「“危ない”というのはこういうものだ!」
「こういったアマい言葉には気をつけろ!」
「それはクリックするな。トラップだ!」



などと叫びながら。(傍から見れば、かなりアヤシイ光景に映るだろう。本当は父親であるオマエの方がそういうサイト、見たいんじゃないの?とか勘ぐられそう)


その方が頭ごなしに「これはダメ!」などと言われて禁止されるよりも、ずっと効果があるのではないか。(たぶん母親はそんなことしたくないだろうから、こういうのは父親がやった方が無難か)


そしてもうひとつ(むしろこっちを強調したいのだが)危惧していることがある。それは、こういった“危ないもの”“悪そうなもの”をなんでもかんでも排除することが、知らず知らずのうちに「危ないものや悪そうなものは知らなくていい、触れなくていい」という態度や風潮にもつながりかねないのではないかということだ。


とにかく危ないもの、危ないことは「見ざる言わざる聞かざる」を徹する。そういう過干渉な(よく言えば子供思いだろうが)親の話を最近よく耳にする。「モンスターペアレンツ」というのはまさにその典型だろう。


たしかに多少の悪影響はあるかもしれない。だが、そういったものを子供から完全にシャットアウトして知らせないようにする方がよっぽど悪影響ではないか。


社会的に「悪」だのなんだのと言われているもの(それがホントなのかもよく知らず)を知らないままでいれば、当然それに関心を抱かなくなる。関心がなければ知ろうともしない。それがまずい。


よく知りもしないうちから、なんでもかんでも「悪いもの(悪そうなもの)、危ないもの(危なそうなもの)は排除しよう。そしてより良い環境をつくろう」とするのは間違いだ。これは子供に限った話ではない。むしろ大人こそがこういうことに対して敏感になり、気をつけなければならない。


本書のテーマである「ヤクザ」も同じである。彼らの実態をよく知らない人たちは、彼らを見ては「悪」と決めつけ排除しようとする。


しかしこの本を読めば、ヤクザ=悪という等式が必ずしも成り立つわけではないのが(「納得」はしにくくとも)「理解」はできる。


「ヤクザは全く悪くないし、危なくない」などと言っているのではない。また、言うつもりもない。だが、どうしてもやむを得ない存在だということは本書を読んで感じると思う。



人間社会の「裏」を知らずして、人の「心(うら)」など分かるはずがないのだから。
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