2011/03/05

究極の“死体エッセイ” ― 書評『死体入門』

死体入門 (メディアファクトリー新書)死体入門 (メディアファクトリー新書)
(2011/02/28)
藤井 司

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目次 ― 引用元:紀伊國屋書店BookWeb


第1章 死体とは何か(死体は人を惹きつける;魂の重さはスプーン1杯分? ほか)
第2章 人が死ぬということ(死を見つめた『九相詩絵巻』;まず血流が止まる ほか)
第3章 ミイラに込めた願い(永久なる死体とは;日本最古のミイラ ほか)
第4章 死体をとりまく世界(死体に出会ったらどうすればよいか;死体を見ないようにする方法 ほか)
第5章 死体の利用法(死体を扱う学者とは?;死体が面白いから ほか)






今の世の中、文章術の本というのはごまんとある。


私もそういう本を書店でパラパラと読むことはあるが、いつも感じていることがある。


それは、「わかりやすく書く」ことを主眼に置いた本は多いが、「読者を楽しませるように書く」ことを主眼に置いた本は非常に少ないということ。


「わかりやすく書く」というのはすごく大事なことだ。そして、その「わかりやすく書く」ための“ルール”が明示されることで、すこしでも文章が上達する人もいるだろう。しかし、「わかりやすく書」いたからといってそれが「良い文章」であるかといえば、私は疑問だ。


では、「良い文章」とは一体何だろうか?私個人が思う「良い文章」の条件を2つ挙げておきたい。


「良い文章」とは、

1、 読んでいて分かりやすく
2、 且つ面白い(≒魅せられる、心が惹きつけられる)文章


である。



これだけ?と思った方もいるだろう。


そう、これだけ。


だが、この2つをきちんと満たした本というのはものすごく稀ではないだろうか。(書評を書いている私も、人のことを言えたタチじゃないよね・・・。)


で、上記2つのことについて書かれた本を最近やっと見つけた。外山滋比古著『文章を書くこころ』(PHP文庫)という本だ。とはいっても、いわゆる「ノウハウ本」の感じがしない。エッセイといった方が良いかもしれない。







そして今回紹介する『死体入門』は、まさに「良い文章」になるための条件を全て満たしたスゴイ本なのだ。


テーマは「死体」である。一般書として書くのであれば、相当難しいテーマなはずだ。死体に関する知識ばかり書いてあれば、読む側は飽きる。そうかといって、おちゃらけ過ぎるのも不謹慎だろう。つまり、ものすごくバランス感覚が必要になるテーマだ(と私は思っている)。


それで著者の、この“バランス感覚”がハンパない。死体についての(「死臭の作り方」なんていうのも紹介されている)分りやすい説明はもちろんのこと、読んでいて時折クスっときてしまう面白さ、そしてその織り交ぜ様は、まさに「良い文章」の鑑なのだ。




話は変わるが、今、医師不足が社会問題になっている。その中でも法医学者は圧倒的に足りないのだそうだ。大学で法医学を専攻する学生も少ないらしい。


「日本人のもつ、死体への独特の忌避感覚がその根底にあるのかもしれない」 ― そんなことを考えながらあとがきに突入すると、そこには「死体への興味を育てよう」の文字が目にとまる。読めばはっきり、著者の「死生観」ならぬ/と共に「死体観」が伝わる。


なのに、死体にかかわる職業人こそ死者を冒瀆していると見られることも多い。死体はすぐに眠らせるべきだ!切り刻むなどとんでもない!死体をさらしものにしている!死体で生活の糧を得るなんてハイエナだ!

このような主張をするような人たちに問いたい。そもそも、あなたは死体をどれだけ知っていて、そのように責めるのですか?誰もが最終的にたどり着く姿であり、あり触れた存在であるはずの死体が徹底的に隠される現状のほうが異常ではないですか?(p203)


うーん、と唸ってしまうのは私だけだろうか?


私の周りにこんなことを声高に叫ぶ人なんていやしない。考えたこともなかったがゆえに、その言葉一つひとつがズシリと心に来る。こういうことが書けるのも「死体」に対して著者の「慕い」があればこそのこと。


「死」から「生」を考えるのは、「生」から「死」を考えるのと同じくらい大切 ― そう思わせてくれる一冊だ。
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