2011/03/10

ブラジルで、ブラブラしたくなる本 ― 『ブラジルの流儀』

ブラジルの流儀―なぜ「21世紀の主役」なのか (中公新書)ブラジルの流儀―なぜ「21世紀の主役」なのか (中公新書)
(2011/02)
和田 昌親

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目次 ― 引用元:紀伊國屋書店BookWeb



第1章 社会・生活の話(なぜブラジル人は「優しい」のか;なぜ「デスパシャンテ」なる奇妙な商売ができたのか ほか)
第2章 経済・産業の話(なぜ「BRICS」では満足できないのか;なぜ超インフレを収まったのか ほか)
第3章 文化・歴史の話(なぜ事実上戦争をしなかったのか;なぜブラジルだけがポルトガル領になったのか ほか)
第4章 サッカー・スポーツの話(なぜブラジルサッカーは「いつも強い」のか;なぜ美しく勝たないといけないのか ほか)
第5章 政治・外交の話(なぜルセフ新大統領はここまでのし上がれたのか;なぜ最下層のルラが最強の大統領になれたのか ほか)




小生、ブラジルへ旅行したことは今まで一度もない。だから「ブラジル」という言葉から連想できるのは、せいぜい「コーヒー大国」だとか「南米大陸で最も大きな国」だとか「リオのカーニバルで、綺麗なお姉さんたちが腰を振りながら踊る」とかで、そういった実に乏しい知識しか持ち合わせていなかった。


しかし、「乏しい知識しか持ち合わせていない」というのは、逆に考えると「知る楽しみが増える」ということでもある。「知らない」「よく分からない」という状態の中に、「知る楽しさや面白さ」といった「プラスの価値」を作り込めるのだ。


そのためには、自分の中にそういったものを創ってくれる「装置」が必要である。


で、本書がその「装置」なのだ


読むとじわじわ感じてくる。ブラジルというのは実にのんびりゆったりしたお国なのだと。悪く言えばアバウト。でも、なんだか許せてしまうアバウトさだ。ガチガチに固まらず、人生をユルく考える。それがこの国の「流儀」なのだ。


でも、行き過ぎるとこうなる。


ラテン人というのは時間にルーズというのが定説だが、ブラジル人もご多分にもれず、相当アバウトだ。「三時というのは、三時から三時五十九分までを指す」と、悪びれる様子もない。(p29)


その発想はなかったわ。


スーパーのレジでも、そのアバウトさに驚かされる。例えば、三・九九レアル(現地通貨)の買い物をして、四レアルを渡すとする。もちろんお釣りは〇・〇一レアル=一センターボだが、一センターボ硬貨が渡されることはない。その代わりに、平然と五センターボ硬貨を出してくるケースさえある。つまり、お釣りを勝手に切り上げて払おうとするのだ。(p29)


日本でそんなことやったらクビになるか、店長に首根っこ掴まれてお説教タイムである。てか、ここまでいけば、もはや流儀でもなんでもなく、単にいい加減なだけだろ・・・。 (ってツッコミたくなる)


で、このアバウトさに続いてこのジョーク。


ポルトガル人が「アメリカ人は月まで行くロケットを開発しただけで頭脳明晰だと思っているが、ポルトガルでは太陽まで行くロケットを開発中だ」と語った。聞いていたブラジル人が「でも太陽に近づくにつれて溶けてしまうのではないか」と言うと、ポルトガル人は「それも計算してある。夜間にロケットを発射するように変更した」。(p141)


読んで思わずニンマリ顔になってしまった。「そうね、夜には太陽が見えないし、そう考えたくもなるよね」と、顔では同情を示(すのかどうか分からないが)しつつも、心の中では冷笑を浮かべるのがブラジルの流儀、いや“遊戯”なのだろうか?


そうかと思いきや、こう続く。


《自分たちの祖先だからポルトガルを見てみたい。でも世界の中でポルトガルはかつての隆盛は望むべくもない。土も隣国スペインに比べ大きく見劣りし、欧州の小国になり下がっている。馬鹿にしたい思いと、「しっかりしろよ」と励ます気持ちが複雑に交錯しているように思う。頼りない父親につらくあたる息子のようだ。(p142)


なんとも言えない微笑ましさ。なんだかんだ言ったって、結局は良き間柄ではないか。まあ、ジョークは別として、日本も(特に都心)“ある程度は”ブラジル流のアバウトさを見習っていいのかもしれない。

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