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2011/03/13

「自分探し」という迷走、「楽しさ」という難しさ ― 『自分探しと楽しさについて』

自分探しと楽しさについて (集英社新書)自分探しと楽しさについて (集英社新書)
(2011/02/17)
森 博嗣

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集英社新書から出されたエッセイby森博嗣は本書で5冊目。さすがに「どんだけ多いんだよ!」というツッコミは禁じ得ない。それでも需要があるのだからスゴイ。小説で成功し、エッセイでも成功しと、驚くべき人である。


しかし、なぜここまで人気があるのだろうか?自己啓発のようなエッセイだから?「作家・森博嗣」が書いたものだから?いや、違う。「常に一般論を言わないから」だ。


当たり前といえば当たり前だ。結局のところ、本の中身は一般論の裏返しや否定でないと面白くない。独断や偏見、逆説がない本は読んでいて本当につまらない。そのくらいパンチがないと読書など意味がない。


で、森博嗣のエッセイはどれを読んでもパンチがある。


例えば、

もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな。(『小説家という職業』 p4)


翻って自分が発言する意見や、自分が行う思考も、実は自分から切り離すことができる。それが自由な意見であり、自由な思考というものだ。たとえば、なにかについて「こうあるべきだ」ということを発言しようと思ったとき、自分が今はまだそうなっていなくても、発言はできるし、考えることもできる。だから、そういう発言に対して、「お前はどうなんだよ」「お前に言われたくないな」という反論はするべきではない、と僕は思う。(『自分探しと楽しさについて』 p104)


人が楽しんでいるところを見て、「いいよな、金があって」という感想はまったくお門違いである。それは明らかに、「金が楽しみを生む」と思い込んでいる勘違いからくるものだ。(中略)逆である。楽しさを求めれば、金は入ってくる。真剣に楽しみを実現したいと思う人は、自然に金持ちになっている。(同 p177)



どれも興味深い。だから(良くも悪くも)読者にウケるのだ。


「じゃあ、なんでもかんでも一般論を裏返せばいいのかよ」と言うと、もちろんそんなことはない。ある程度の説得力や裏付けは当然必要だ。で、そういった説得力や裏付けというのは、他の何ものでもない、「森博嗣本人」であり彼の経験から生まれたものである。


本書の話へ入ろう。


「自分探し」という言葉だが、これについて彼曰く「どこにでもある」と。ちなみに私はこの言葉が嫌いである。この青臭さがなんとも言えない刺激臭であり、文字通り、鼻につくのだ。高校生ぐらいまでがこの言葉を使ってどうのこうの言っているならまだ分かるが、二十歳過ぎた人間には「イイ年して・・・」というぐらいの感想しか持てない。


「楽しさ」の方はどうか?彼は喝破する ― 「楽しさなんて自分で創れ」と。これではあまりにも当たり前すぎるだろうか?その詳細については、この本ともう一冊『創るセンス 工作の思考』を読むことをオススメする。「創る」がどれだけ「楽」しいことであり、それと同時に「楽」なことではないかが分かる。それをこの二冊でとことん語っているのだ。


ちなみに、森博嗣以外のエッセイストで面白い人と言うと、今思い浮かぶ人で中島義道だろうか。この人間だけには色んな意味でゼッタイ勝てないといつも思い知らされる。
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