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2011/03/19

人間の身勝手さ ― 『生態系は誰のため?』

生態系は誰のため? (ちくまプリマー新書)生態系は誰のため? (ちくまプリマー新書)
(2011/03/09)
花里 孝幸

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大学二年の時、生態学の授業を取っていたが、まったく面白くなかったので、まったく(といっていいほど)出席していなかった。


でも、今なら出席したい気持ちでいっぱいだ。もしもこの著者が先生であるならば。







今日はあてもなく、ぶらぶらと公園を散歩した。

懐かしい。ここを訪れたのは何年ぶりのことだろうか。

そう思いながら、ふと、あるすべり台に目が向いた。

「立入禁止 ここに入ってはいけません」

そう書かれた黄色のテープで、そのすべり台はぐるぐると巻かれていた。

どうやら事故があったらしい。

幼い頃、私もこのすべり台をよく好んだ。斜面が急で、スピードが出る。

よく言えばハラハラドキドキ。悪く言えば危なっかしい。そんなすべり台だった。

しかし、よく注意して滑れば安全だ。間違った遊び方をしなければ、そんな仰々しいテープなど、巻かれずに済んだはずだったと思う。



以前もブログでこんなことを書いた。


危ないから、危なそうだからといって、じゃあそれは使わないようにしようとか、取り除こう、というのはいかがなものか。そうではなく、危ないから、じゃあどうしたら安全に使えるのか、ということを考えるべきである。


そのすべり台を見ながら、そんなことを考える内に、本書のこんなくだりを思い出した。少々長いが、引用しておこう。


この国立公園では、人間に危害を与えるために害獣とされたオオカミが、長い時間を経て人間によって駆除されてしまいました。すると、オオカミの餌になっていたエルクという鹿が増え、それが若い木々を食べてしまったため、その地の植生が変化してしまったそうです。そして、それが、以前の植生に依存していた鳥や小動物に影響を与えたというのです。(中略)

このことから学んだことは、ある生態系の内の一部の生物種が人間に災いをもたらすからといって、その生物種だけを退治しても、問題の全面的解決にはつながらないことがあるということです。なぜなら、一部の生物種をその生態系から排除すると、その影響が他の生物たちに及び、ある生物種は個体数を減らしますが、別の生物種の中にはかえって個体数を増やす種も出てくるからです。そしてそれが、新たな災いを、人間に及ぼすかもしれないのです。(p79-81)


排除するのは簡単なことである。さっきのすべり台の話に戻るが、危ないと感じたらさっさと撤去すればいいのだから。


しかし、それではまずい。遊ぶ子どもの「危ないとはこういうことだ」という意識や感覚さえも「撤去」してしまうことにつながるからだ。


すぐに排除するのではなく、うまく付き合う方法を考える ― これを今の大人が教えないといけない。


生態系を守るということについても、同じことが言えるはずだ。特定の生き物は人間にとって好ましくない存在だから、駆逐しようというのは、おかしな話である。気に入らない人間がいるからといって我々人間はその人をすぐに殺したりするだろうか。違う。そうではなく、うまく付き合う方法を考えるのが普通だ。そしてそれは、人間だけに限らず、他の生き物にも同様の考えで接するべきではないか。


最後の一つは、生態系を考える際に必要なこととして、生物を客観的に見るということです。第4章でハクチョウの話題を取り上げましたが、人間はその感性に合った生き物に親近感を持ちやすく、その生物種を生物群集の中でひいきにしがちです。ところが、そのひいきは、等しく自然の生態系の中で生まれ、くらしている生物たちを差別することになります。そして、それは生態系をつくっているあまたの生物たちのバランスを崩す恐れがあります。場合によっては、人々の生態系保全活動が、守ろうとした生物種を、生態系の中で生きていけないようにしてしまう可能性があります。(p179)


こう言われると、結局、「生態系は誰のため?」にあるのだろうか。


言うまでもないだろう。それはもちろん「みんなのため」にあるのだから。
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