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2011/03/20

おぼろ月、散りゆく花も、乙なもの ― 『からだの手帖』

小事典 からだの手帖〈新装版〉 (ブルーバックス)小事典 からだの手帖〈新装版〉 (ブルーバックス)
(2011/02/22)
高橋 長雄

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本書の副題は「薬よりよく効く101話」である。


で、中身は薬よりよく効き、文章も気が利き、読む者も嬉々として読めるため、逆にそれが奇々に感じられたりする。


著者の比喩の上手さからか、なぜか三島由紀夫を思い出した。『若きサムライのために』という本の中で、彼はこんなことを述べている。


男性が平和に生存理由を見出すときには、男のやることよりも女のやることを手伝わなければならない。危機というものが男性に与えられた一つの観念的役割であるならば、男の生活、男の肉体は、それに向かって絶えず振りしぼられた弓のように緊張していなければならない。(『若きサムライのために』 p29)


草食系男子なる言葉が昨今、よく聞かれる。男らしい男というのがめっきり減ったということなのだろうが、それが真か偽かは、私個人、検証のしようがない。


ただ、仮に真だとしたら、三島の言う「緊張」がなくなってきたから、というのも、原因の一つとして考えられるかもしれない。


その点、ニューロンというのは、「緊張」を常に維持している、といっていい。本書のこの部分を読む限り。


◆平和な朝の索敵隊

初夏のさわやかな朝、窓をあける。目にしみるような緑、小鳥のさえずり、すがすがしい微風・・・。平和なこのような朝でも、人体の感覚器という索敵隊は、臆病なキリギリスが触覚を休みなく動かしているように、ゆだんなく外敵の侵入を警戒し、外界の情報を集めているのである。(p12)


「平和」なのに「索敵」である。いや、平和「だからこそ」索敵なのかもしれない。ニューロンの中では「平和ボケ」の四文字はないのだ。


こんなこと言うと三島に怒られそうだが、私は基本的に毎日平和ボケしている。ということは、私の「ニューロン」も平和ボケしている恐れがあるではないか。大変だ!早く「索敵」させないと!


常に索敵状態 ― 戦争に臨む兵士のごとく神経はピリピリしているのだろう。そういうことなら、交感神経が活発に働いているということである。そういえば、自律神経系なる項目にこんなくだりがあった。


自律神経系を一つの家庭にたとえると、交感神経は“だんな”であり、副交感神経は“奥さん”である。家庭の場合と同様に、ふだんの活動は奥さんの副交感神経系が営む。そして、だんなは大そうじで重い物をもつときなどに動員されたり、家庭内の行事にアクセントをつける役割をしているが、それが交感神経なのである。(p27)


私は重い物なんか持ちたくないし、大そうじなんかに動員されたくない。強制動員されてもイヤイヤである。それでも、交感神経は文句一つ垂れずに働くのだ。じゃあ、私は交感神経よりも労働価値の低い人間なのだろうか?そうはいっても、そんな人間にだってちゃんと交感神経はくっついている。いや、私がいけないのではなく、私の交感神経がいけないんだよ、きっと。


人間は年をとると億劫になりやすい。たいてい「老い」が原因だったりするが、そういう「老い」に関する章もこの本には設けられている。そこで、パラペラとページをめくっていると、「更年期」の項を発見した。


人生の四季を通じて変わりばえのしない男性にくらべ、女性は育児や家庭づくりに主役を演じ、春から夏にかけて、きらびやな大輪の花をつけるが、更年期になると、痛々しい落花のときを迎える。しかし「花よ嘆くなかれ」である。生物の究極の目的の一つは実を結ぶことである。人生の果実も、花のあとに、そして結局、主として女性の中に結実されるもののようだからである。(p207)


三島は『花ざかりの森』という作品を書いた。「花ざかり」というと「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という、兼好法師こと吉田兼好の名言を思い出す。


人生は長い。「さかり過ぎればそれまで」などという考えはあんまりである。人生における本当の味は若さの後に出てくるものなのかもしれない。最近では曽野綾子の『老いの才覚』という本もベストセラーとなっているぐらいだ。


そんな感慨に耽っている私は20代。今はさかりの時。それはそれで大いに楽しまねば。
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