2011/03/23

自己愛と事故愛の「はざま」で ― 『一億総うつ社会』

一億総うつ社会 (ちくま新書)一億総うつ社会 (ちくま新書)
(2011/03/09)
片田 珠美

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「自分はこれだけ〇〇なのに、アイツがダメな奴だから、評価してもらえない」 ― 「理想の自分」になれない原因を他者に求めてイライラが収まらず、うつ病になる人が最近多いらしい。
とりわけ、従来とは違うタイプのうつ、いわゆる「新型うつ」の患者が急増している。新型うつには、従来のうつ病の典型であった「メランコリー親和型」とは異なり、自分の病気を他人や会社など周囲のせいにしがちであるという特徴が認められる。

他人のせいにしたがるのは、「こうありたい」という自己愛的イメージと「これだけでしかない」現実の自分との間のギャップを受け入れられないからである。(p13)
「あらまあ、かわいそうに。でもきっといいことだってあるさ」などと励まして、「そうだよね、頑張るよ」なんて言いながら明日は元気に出社、といけばなにも問題はない。だが、そうはいかないのが昨今流行りの新型うつだ。

もちろん、本当によく頑張って、それでもきちんと評価されないで悩んでいる人も中にはいるだろう。しかし、ここに出てくる人たちは、(少なくとも本書を読む限り)「たいして能力もないのに、プライドだけは異常に高い」というタイプである(と私は感じた)。仕事ができない→でもそれは自分のせいではなく他人のせい→イライラが収まらない→うつ病になる、というパターンが多いのだ。

さて、私は医者や専門家ではないので、この新型うつになる人の是非や詳しい特徴、症状ついては論じられない。ただ、読んでいて改めて、「認められる」ということに意味について考えさせられた。



「認められる」とはどういうことだろうか?

たとえばあなたが、プロミュージシャンになりたいとか、プロ野球選手になりたいとか、そういう夢に向かって、努力をしていたとしよう。で、そういった努力を続けていると、たいてい、「こんなに頑張っている自分、こんなに◯◯ができる自分を認めてもらいたい」という欲求が出てくる。ここまではきわめて普通のこと。

しかし、大切なのは「あなたという人間を認めるかどうかは他人が決めることだ」という事実をきちんと知っているか、ということだ。

「認める」とは「そのものになんらかの価値がある」と判断することである。逆に言うと、認めてもらいたければ、他者にとってなにか価値のあるものを作らないといけない、ということになる。

勘違いしてはいけないのが、この「価値」の判断者についてである。これはけっして自分ひとりでできるものではない。あくまでも判定するのは他人。

だから、「認められない」ことを理由に、「本当の自分はこんなではない」とか「奴らは人を見る目がない」などと言ったり、思い込んだりするのは間違いである。

ひたすら「自分を認めてほしい」という感情だけが先走り、他者の存在に気がつかない。いや、気づこうともしない。そして、そういう現実を見ずに「誰も自分を認めてくれない」などと思う人は、他責的な考え方に陥りやすいのだろう。

よく「自分で自分を認める」などと言うが、これは基本的に自己満足が通る世界(例えば、自分の趣味の世界とか)での話である。これが仕事となると、話は全く別である。

プロミュージシャンになりたい、プロ野球選手になりたい、というのは趣味だけにとどまる話ではない。こういう人たちは、いくら傍から楽しそうに見えても、趣味ではなく、仕事なのである。趣味と仕事の最大のちがいは、そこに「他者の承認」が必要なのか否かではないだろうか。

趣味は気楽だ。自分が楽しめればそれでいい。だが仕事はそうはいかない。他人に認めてもらわなければならない。認められて初めて、お金という、価値に対する報酬が支払われるわけだから。

しかし特殊な例もある。大人が子供を「認める」という行為である。こう言うと気分を害するかもしれないが、基本的に子どものつくるものに価値はない。それでもわれわれ大人は「すごいね」とか「よく頑張ったね」などと言って褒める。この「褒める」(=認める)という行為は特別であって、子供のやる気や向上心を上げるために必要だ。それをするのが、親だったり学校の先生だったり、近所の人だったりなのだが、基本的に子どものすることに「価値」はない。「価値」がないのに「認める」という、特殊な例である。

まれに大人でもそういったことを必要としている人がいる。しかし、大人は子供以上に、「褒め言葉」に敏感だ。その「褒め言葉」が度を過ぎれば、われわれはそれを「お世辞」と言う。「お世辞」に変換されたとたん、それは「認められる」ということと一致しなくなる。大人はあくまでも、「本心から認められる」というのが必要なのだ。

こうまで言うと、大人が大人に「認められる」ということには、ものすごく厄介な心理がつきまとっていることになる。子どものようにはいかない。

だが、そうであっても、原則は「価値」の有無である。少々トゲのある物言いだが、少なくとも仕事においてはこの原則に従って、他者はあなたを承認する。

新型うつになる人というのは、もしかしたら、この「認められる」ことの意味を、知るべき時期に、知ることのなかった人たちなのかもしれない。ここで、「だからダメなんだ」などと結論を下したところで、誰も幸せにならないし、何も解決しない。知らなかったら知らなかったで、一から上の人間(親なり上司なり)が教えるべきなのだと思う。
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