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2011/05/22

「新刊書よりも古典を読め」とすすめてくる人たちへ

「新刊書より古典を読め」という人たちは、この世の中に多くいる。その理由を聞くと、たいてい「昔から大勢の人間に読まれてきて、かつ今日まで残った本が古典だ。それだけ価値のある本だと認められてきた証拠だから」と言う。

それを聞いて思うのが、「じゃあ、あなたにとってはどうなのか?」ということ。他の誰でもない、あなた自身はその古典を読んで何を思い、何を感じ、何を得られたのか?――そういった点が、この手の理由を述べる人たちには抜けているような気がする。

古典は、過去から現在にいたる多くの人の、「これは良書だ!」という総意のかたまりだとわたしは思っている。フェイスブックのように「いいね!」と言った人が多かったから「古典」になったのだろう。

しかし、みんなが「いいね!」と言ったものが、自分にとっても「いいね!」かどうかは別問題である。「エライ人」の言ったことは、いつでも誰にとっても「素晴らしいもの」なのだろうか?

しきりに「新刊書より古典を読め」と言ってくる人たちは、ある種の権威主義者である可能性が高い。こういう人たちにとっての関心事は、実のところ「本に書いてあること」ではなく、単に「誰々が◯◯と言った」という事実だったりする。

歴史上の有名人が言ったことを、「最近の人」が同じように言っても、彼らはさして耳を貸さないだろう。とにかく「誰々が◯◯ということを“最初”に言った」という事実がなによりも重要なのである。

ここから分かるのが、「あることに対して説得力があるかどうか」の決定打というのは、論理的に説明できるとか、具体例が豊富だとか、話が分かりやすいなどというよりも、結局のところ「人そのもの」ということだ。

そこで思うのだが、そういった歴史上の有名な人が「古典なんか読まなくていい。新刊書を読め」と、「古典」とされている著作の中で言った場合、古典を過剰なまでに重んじる一部の現代人はどうするのだろう?

権威主義者なのか、それとも自分の頭できちんと考えられる人なのかの境目は、そこにあるのだと思う。
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