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2011/01/17

「無茶苦茶」を、無茶苦茶なまでに、肯定してみた ― 『脳と即興性』

脳と即興性―不確実性をいかに楽しむか (PHP新書)脳と即興性―不確実性をいかに楽しむか (PHP新書)
(2011/01)
山下 洋輔、茂木 健一郎 他

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第1章 いにかして山下洋輔は生まれたのか(譜面どおりに弾くのは嫌だ!;第二外国語としてのヴァイオリン ほか)
第2章 即興力の磨き方(言葉をたくさん覚えておく;才能を叩き売る覚悟をもて ほか)
第3章 独創性の育て方(フォロアーが独創性を育む;「楽譜なんて見るな」と言えるか ほか)
第4章 音楽は生命力の源泉である(引き出しがカラッポな状態;宮廷で育てられたクラシックの奇跡 ほか)
第5章 人生の本質とは何か(ジャズの道を選んだ理由;脳科学者を選んだとき ほか)
第6章 勇気をもって生きる―即興の知とは何か(能登で感じたクオリア;リスクを取って自由に生きる ほか)


「まったく筋道が通らないこと。度外れなこと。また、そのさま。」


「滅茶苦茶」という言葉を大辞泉で引くとこのように定義されている。一般的にこの四字熟語を肯定的な意味で使う人はあまりいない。使うとしても「滅茶苦茶おもしろい」だとか、程度の甚だしさを表す時ぐらいであるが、それでもたいがい“気軽に使える口語”として扱われる場合がほとんどであり、フォーマルな場面でこの言葉を使えば、その人の品が疑われたりもする。

言葉そのものはネガティブなイメージが強い。だが、歴史という観点からすれば、むしろ「滅茶苦茶」というのはポジティブに働く場合が多かったりする。何かが急成長したり発展したりする時、たいていそこには「無茶苦茶」が存在する。

例えば、明治維新や高度経済成長期の頃を見てみよう。これら二つの時代、すっきりと整った計画案をもとにして行動し、さも予定調和のごとく発展した時代だったかといえば、そうではない。ものすごい勢いでなりふり構わず新しいことに挑戦していく。失敗することも多かったが、その分成功することも多かった。そういう時代だったのではないか。

そしてその「滅茶苦茶」を見直そうと示唆するのが、本書の二人である。

太平洋戦争を機に、憲法も思想もインフラも生きる希望も、滅茶苦茶なまでにたたき壊された戦後日本。そこに残されたものこそ「滅茶苦茶にやってみること」だった。その後は滅茶苦茶に経済成長し、滅茶苦茶なまでに不況に陥り、そして何にもまして「滅茶苦茶」を恐れるようになったのは、どこの誰でもない日本人自身である。

滅茶苦茶にやってみるというのは何が起こるかわからないし、先が想像できない。想像できないからこそ、創造できるものがあるのではないか。日本活性化のためのヒントは、案外、無茶苦茶なものだったりするのかもしれない。
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