2011/08/28

「白雪姫」は女性の敵か ― 『お姫様とジェンダー』

お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門 (ちくま新書)お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門 (ちくま新書)
(2003/06)
若桑 みどり

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幼い頃、転んで膝を擦りむいた痛みから、よく涙を流していた。そのときの記憶はもう定かではないが、親から「男の子なんだから、そんなことで泣くんじゃない」とたしなめられたことはあったと思う。

その頃の僕は当然ながら「男の子なんだから」という理由をなんの疑いもなく受け入れ、「男の子にとっては泣かないことが大事なんだ」ということを、なんの疑いもなく消化していったと思う。

それから十数年たって「ジェンダー」という概念に出会った。「男はこういうもの、女はそういうもの(だから男は、女はこうしなさい、ああしなさい)という考え方は、その人の生き方や価値観を縛りつけ、自由を奪うものだからやめましょう」という主張があることをそのとき知った。

当時はそのとおりだと思ったが、今になってみるとそういった「考え方」自体はあっても良いと思う。どんな理屈をつけようと、やはり男と女は心身ともに違う。違うものを無理に一緒くたにするのはいかがなものか。違うなら違うで、それぞれの「やり方」を設けたほうが支障はない。「やり方」のひとつ、生き方の指針のひとつとして見るなら、「男ならこうすべき」「女ならこうすべき」という考え方も歓迎してよいと思う。

プリンセス・ストーリーに出てくる登場人物の生き方や立ち振る舞いもその「やり方」のひとつであるが、気をつけたいのは、その「やり方」を絶対視してしまうことである。

どうしてプリンセス・ストーリーがこれほど生産されて消費されているかといえば、この本の冒頭に書いたように、それは社会と家庭の中軸にいるのが男性であると決め、女性はその補助であり、女性の主たる存在理由は性的な仕事――性そのもの、出産、育児――にあるとする家父長制社会の通念にしたがって、その制度や慣習を持続することを理想とし、美徳とする男性たちの見えない力がとても強いからである。その力によってこの社会の教育や文化が創造されているからである。(p175)

これに対し、僕はこう考える ― プリンセス・ストーリーはその人の生き方や価値観を縛るのではない。縛る原因となっているのは、プリンセス・ストーリーの中にある「隠されたメッセージ」を持ち続け、それを“いつまでも”「女性としてのあるべき姿」とか「女はこう生きるべき」などといった形にしてしまっていることだ、と。

プリンセス・ストーリーの中に出てくる登場人物の生き方や立ち振る舞いというのは、一つのケース(事例)に過ぎない。それが「絶対」ではないし、「そうでなければならないもの」でもない。問題なのは、そういう生き様や所作を「女性として生きるための必要条件」といったように考えてしまうことにある。

プリンセス・ストーリー以外のものに目を向けてみたらどうか、というのが僕からの提案である。人生や生き方についてのエッセイを読む、男性向け(とされている)冒険小説を読んでみる、講演会などに足を運んでみるなど、「プリンセス・ストーリーの呪縛」なるものから逃れる方法は無数に存在するのではないか。色々な人の考え方を自分の中に住まわせる、共存させるというのが、ひとつ鍵になってくると思う。
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