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2011/09/04

見る側の論理と作る側の論理の不一致 ― 『メディア・リテラシー』


メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)
(2000/08/18)
菅谷 明子

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2000年代後半から、インターネット上において動画サイトが非常に充実してきた。そのブームの火付け役ともいえる「YouTube」は、世界各国から毎日大量の動画がアップロードされている。そういったサイトが豊富になるにつれ、手軽に動画作成をおこなえるソフトも昔と比べて大幅に増えた。

実は私もかつて、動画サイト「ニコニコ動画」に自分の作った動画をアップロードしたことがある。実際に「動画」というものを作ったわけだが、そのとき感じたのは、なんと言っても「作ることの難しさ」だった。自分で作った物語を動画化しようと思い、物語の進行からキャラクターの設定や配置、セリフ、そして演出方法などを考え、それを数枚の紙に台本としてまとめた。

それを今度は「映像」というメディアに変換するのだが、そのさい色々なトラブルが生まれた。ソフトの使い方や機能が分からないなどの問題は、かならず起こるだろうと予測していたが、予定の再生時間内に物語全部のシーンがのせられないという予想外の問題が生まれ、どのシーンは必要で、どのシーンは削るかなども考えなければならなくなった。

その場その場でなんとか解決し、なんとか動画が完成したのでさっそくアップロードしたが、今度は絵や文字が見づらいという事態が発生した。とりあえず、すでに多数の作品を載せているほかのユーザーのものと比べてみたが、自分の作った動画がいかに貧弱なものか、作れた楽しさがあった反面、むなしさや悲しさもあった。

しかし、「映像を作るとはどういうことか」が少しでも分かったのは幸いだったと思う。「テレビ番組などの製作過程もこれに近いのかもしれない」という推測もある程度は立てられた。テレビ番組は時間にきちんとした制約があるため、必要なもの、不必要なものというくくりを明確にしないといけない。だが、そのくくりは場合によって、視聴者の印象や感情を大きく左右させてしまう。

本書に出てくるメディア教育は、メディアについて習う生徒たちに、この点を強く認識させようとしている。それも言葉によってではなく、実際に映像を作らせることによってだ。個人的には非常に良いことだと思う。実際に作る側に回ってみれば、制作側が何を意図して番組をつくろうとしているのかを推測しやすくなるからだ。

また、テレビで放映されたものすべてが事実ではないということにも気づきやすくなる。とくにドキュメンタリーやニュース番組を見る際、このことを意識しているかいなかは、かなり重要になってくるだろう。人になにかを伝えるとき、素材そのものや、その素材のどこを使うか、どのように選び組み立てるかなど、そういった制作サイドの裏側や仕組み、時にはその放送局の思想信条が番組の内容に大きくかかわってくるということを、前もって知っておく必要がある。

私がブログでやっている本の紹介も、構図としては映像制作と同じだ。本の紹介といっても本の内容全部を紹介するわけではないし、実際のところ不可能である。結局は読んだ人にとって印象深かったところを紹介するというのがほとんどだ。そのため、べつの人が同じ本を読んだからといってそれが同じように印象深いというのは、おそらくそれほど多くない。「紹介文を読んでおもしろそうと思ったから、買って読んではみたものの、そんなにおもしろくなかった」ということはだれしも一度はあるだろう。事実と、事実から一部分を切り取って編集したものは大きく違うという好例である。

あるものを「批判的に見る」とは、内容そのものだけでなく、作っているのは誰なのか、どういう過程を経て作られたのかなども含めて見る(または想像する)ことだ。今後ますます加速していくであろう情報社会において、こういったものの見方を養っていくのは当然といえるだろう。
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