2011/09/05

「動物」という名の無知 ― 『動物農場』


動物農場 (角川文庫)動物農場 (角川文庫)
(1995/05)
ジョージ・オーウェル、George Orwell 他

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2011年度の角川ブックフェアに本書が選ばれていたので、ちょっと取り上げてみたりする。





この本は「革命によって権力を独り占めする者が追放されても、また新たな形で権力者や独裁者というのは現れる」というメッセージをその根幹に添えようとしているわけだが、このことは、ジョージ・オーウェルが風刺しようとしたロシア革命だけに当てはまるものではない。

ロシア革命以前からこういった形態は歴史上繰り返されてきたわけだし、革命などというおおげさなものを取り上げなくとも、自分の幼少時代におそらく一人ぐらいはいたであろうガキ大将とその周辺にいる子供たちという構図の中にでも、こういった「権力がある者から別の者へと移りゆく様子」を見てとることができると思う。その点については、私自身あまり感じるものはない。

それよりもずっと恐怖に感じたのが、支配される側にいる大勢の動物たち(これは市民を暗に表現している)の無知や無教養だ。ある程度の学がなければ(本当は「ある程度」以上にあった方が良いとは思うが)、自分たちは上の人間たちによって、都合のいいように動かされていることに気がつかない。

「いや、そんなことはない。そんなことがあれば、学がなくたってすぐに気がつくさ」と言う人もいるかもしれない。だが、上の人間たちはもちろん、そういった「気づかれるかもしれない」ことにもちゃんと考慮している。その「気づき」を未然に防ぐのが、本書に出てくるスクィーラーのような悪賢い宣伝係だ。

私にとっては、支配者であるナポレオンよりも、むしろスクィーラーのような存在の方がずっと厄介に感じる。言葉が巧みで、大勢の心を同じ方向へともって行き、相手を不利な状態へと追いやっても不利だとは感じさせない。そんなやり口に対しては支配される以上に悔しい。支配には武力でもって無理やり抑えこまれてしまうことがあるが、プロパガンダによって自分を洗脳されるのは、学があれば守ることが可能だからだ。

いや、プロパガンダなどという大きな構図で考えなくても、日常生活で起こる詐欺行為のレベルに対しても同じだ。『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』という本の中で、立花隆はこう述べている。

立花 人間のダークサイドに関する情報が、現代の教養教育に決定的に欠けていますね。この社会には、人を脅したり、騙したりするテクニックが沢山ある。それは年々発達しているから、警戒感をもって、自己防衛しないと、簡単に餌食になってしまう。虚偽とは何か、詭弁とは何かについて学んでおくべきですね。(中略)大学の教養課程でも、「暗黒社会論」、「悪の現象学」的なコースを設けるべき。悪徳政治家、悪徳企業のウソを見破る技法、メディアに騙されない技法を教えることが現代の教養には欠かせません。(p168-169)

「悪」に対抗するには、あらかじめ「悪」を知っておく必要がある。そうでなければ、無知や無教養であることは、騙されることを自ら迎合することに等しい。

怖いのは、個人のレベルで無学なことよりも、一般市民の半数以上が無学であること、そしてその点に本人たちが気づかないことだ。

それを防ぐためにも、ジョージ・オーウェルがこういった「物語」という形式で、このことを暗に伝えようとしたのは、ある意味で非常に賢くうまい手段だったのではないかと私は思う。なぜならば、「意見文」という形にして彼自身の考えを伝えようとするよりも、「物語」という形にした方が、一般大衆はずっと受け入れやすいし、具体的な固有名詞を持ち出さないため、政治的なトラブルにも巻き込まれづらくなる。そして何よりも、オーウェルその人が作家であり、「物語」という形で表現することが「作家」としての存在意義も同時に示せているからだ。
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