2011/12/26

映画『ザ・コーヴ』に見られるオリエンタリズム


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(2011/02/25)
ルイ・シホヨス、リチャード・オバリー 他

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映画館上映から一年以上経っているにもかかわらず、いまさら取り上げるのもナンセンスだとは思うが、今日鑑賞してみて気になった点があったので、そのことを少々。


この映画で挙げている問題点は以下のとおり。

①:人間よりも知性のある(と考えられている)イルカを、和歌山の大地町にいる漁師たちが食用として乱獲している。(これが主題)

②:イルカには多量の水銀が含まれており、食べるのはかなり危険であるが、多くの日本人はこのことを知らない。

③:イルカの殺し方が極めて残酷であり野蛮である。


ただこの映画は、途中で①から②へと、制作者側の主題が大きくすり替わっている。つまり、彼らの本当の目的は①を阻止するためであるが、後半から②へ方向性をシフトすることで、あたかも「我々は“日本人のためを思って”こういった反イルカ捕獲活動をやっているのだ」といった形にうまく仕立て上げている。そして観客に自分たちの「善意」を伝えたところで、今度は③に主題が切り替わり、イルカの大量虐殺という「むごたらしい」映像を流してこの映画は終わる。


で、イルカを食用とすることやその殺し方が、生命倫理に抵触するのかどうかについてはさておき、ここに故エドワード・サイードの指摘する「オリエンタリズム」が垣間見られるのではないか、というのが個人的な感想だ。つまり、「理性ある西欧人」から見た「非論理的で野蛮な東洋人(日本人)」という構図が、この映画のフレームになっているのである。


彼らが世界的に反イルカ捕獲活動を展開しているのであれば、あえて日本にだけその焦点を当てるのはおかしな話だ。実際、日本以外にもイルカを捕まえている国はいくらでもある。映画の前半では、日本以外の国のイルカ捕獲事情も取り上げられているが、それはほんのわずか。残りはすべて日本にのみ話題が集中している。


人間は生きるために他の生き物を殺して栄養をとるわけだが、殊にイルカに関してはその知性の高さを主な根拠に、食用とすることを彼らは認めない。しかし、この映画ではその認めない理由を、イルカの知性の高さよりも、ほとんど②や③とすることで、見る者の感情に訴えようとする。その背後には、日本人(東洋人)の「無知」(大方の日本人が、イルカに水銀が含まれていることや、そもそも日本でイルカが食用にされているのを知らないという事実)や「残虐性」(イルカを船で網の角まで追い込み、入江を文字通り血の海にして殺す漁師たちの姿)を描くことだけに終始している感が否めない。


そんな「未開人」である日本人たちを「啓蒙」し、「道徳心ある善良な国民」にすべく、我々はこのような反イルカ捕獲活動を続けているのだ――こうした、一見もっともそうな大義名分をこの作品に託し、自分たちの論理(それ故、立入禁止の場所に勝手に入ることも、そこでの現状を隠し撮りすることも許されるという考え)を全面に出しておきながら、日本側の論理は否定するという姿勢も見受けられる。


さらに、大地町における捕鯨活動(イルカも鯨の内に含まれる)には古くからの歴史があるのだが、彼らが「日本人の多くが知らないものを伝統文化と呼ぶのは間違いだ」としている点も、結局のところ、「何をもって“伝統文化”とするかどうかの基準は、我々西欧人にある」というオリエンタリズム的なメッセージに他ならないのではないか。


ちなみにこの記事によると、イルカ漁に反対する学生の数が、この映画を見る前と比べて4倍に増えたと報じているが、それは「日本人による日本人へのオリエンタリズムが形成された」という視点で見れば、制作者側にとってこれ以上の喜びはないだろう。



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