2012/01/03

読んでもらえる、おもしろい書評の書き方

一年間、がんばって「しょひょーブログ」を続けてみた結果、ブログそのものを続けるのがいかに難しいか身をもって知った。聞いた話によると、ほとんどのブログは開設してから半年も経たないうちに、放置されるか閉鎖になるかのどちらかだそうだ。

で、「人に読んでもらえる書評」「おもしろい書評」が書けるようになるために、今も色々と模索しているのだが、とりあえず、この一年間で自分なりにわかったこと、「これはけっこう重要なんじゃないか」ということを記しておこうと思う。


1:文は横に伸びないようにする


これはすべてのテキストサイトに当てはまるが、文が横に伸びた状態(一文がPCの画面の横幅を7,8割以上占めている状態)というのは、けっこう読みづらい。最近気づいたのだが、人間(というよりも縦書き読みに慣れている日本人)は目を左右に動かすよりも、上下に動かす方が、目にかかる負担は少なくなる。

つまり、横に目を動かすのは、なかなかシンドイのだ。そのため、読者が目をなるべく左右へ大きく動かさなくても済むように、一文が横に伸びないようにする必要がある(おそらくだが、ケータイで文字情報を読むとき、さして疲れないのはこのためだと思う)。


2:一部分だけ語る


書評だからその本について「全体的に」語りたくなるのだが、それだと高確率で「つまらない書評」になることに気がついた。なぜつまらなくなるのかというと、結局、「評者にとって一番おもしろかった部分」が、どこなのか読者に伝わらないからである。

自分が「この本のこの部分、すごくおもしろかったよ!」というのが言えれば、その書評を読む側も、「じゃあ読んでみようかな」という気持ちになりやすい。つまり、もっと大胆に本をブッた切った方がおもしろくなる。全体的に語れば語るほど、その本の印象は四方八方へ拡散し、かなり薄まってしまうので注意しようと思う。


3:「自分のこと」を出す


たとえば、


「現代社会はすでにグローバル化の波が全体に広がっており、日本人はこれからもっと英語を深く学ばねばならない」 とか、


「大量生産、大量消費により地球環境は悪化の一途を辿っており、現状は非常に芳しくなく、我々はもっと自らの無知・無自覚を反省すべきだ」 とか、


「経済はアメリカ流の発想に支配されており、経済思想の多様性が脅かせれているのは誠に危惧すべき事態である」 とか。


書いていてすごく眠くなるのだが、こういう意見や感想は、まったくもって読者の頭にも心にも残らない。たんなる一般論だから、というよりも、あまりにも「校長先生の朝のスピーチ」感が出ていて、「身近なこと」のように感じられないからだ。つまり、なにかを語るのならもっと「身近に」語った方が良いということである。

しかしこれが意外と難しい。とくに教養新書などの書評をやる時は至難だ。ほとんどの場合、もともとの題材が「身近」に感じられないからである。

こういう時こそ、2のようなやり方が役立つ。その本に出てくる専門的で難しいことは、なるべく少なく語り(おもしろかった部分だけ語り)、あとは自分の体験や思った&考えたこと、人づてに聞いたことなどをうまく織り交ぜるといい。


4:よい記事のタイトルは、「スピーチとスカート」と同じ


自分の書いた書評は、このサイトにも投稿しているのだが、その際、ここはツイッターでその書評を自動的に紹介してくる。その時、ツイッターのタイムライン上で目にとまりやすいように、なるべくタイトルは短く、刺激的にした方がよいということに気がついた(「スピーチとスカートは短い方が良い」という言い得て妙なセリフがあるが、記事のタイトルも同様)。

そして「◯◯は××なのか?」系のタイトルは、書評の内容を出し惜しみしている感があるので、「◯◯は××である」と言い切った方がいい(それが逆説的であればなおよし)。

フォロワーが多いとすぐにツイートが流れてしまい、文字情報の多いもの(ひとつのツイートに文字をたくさん詰め込んだつぶやき)は基本的に読まれなくなる。なぜかというと、フォロワーたちは、ひとつひとつ丁寧に読むのがメンドウだからだ。そのため、すぐにサッと読めるようなタイトルが好ましいと感じる。


で、この四つを以後、書くときの自戒としておきたい。
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