2012/01/15

真面目な哲学者、松本人志 ― 『「松本」の「遺書」』

「松本」の「遺書」 (朝日文庫)「松本」の「遺書」 (朝日文庫)
(1997/07)
松本 人志

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かねてから、松本人志はお笑い芸人というよりも、「真面目」な「哲学者」だと思っていたが、本書を読んでますますそのことを確信した。

わたしの考える「真面目」とは、いわゆる「学校型優等生」のことではない。課題を期日までにきちんと仕上げる人とか、几帳面に物事をこなす人のことでもない。こういう人たちは、「真面目」なのではなく、規律的なのである。

では「真面目」とはなにか?

それは、「意識的にでないと、思考をストップさせることができない人」のことだ。

彼らは、永久機関のようにひたすら頭を動かし続ける。自他問わず、だれかが「もうこのことを考えるのはやめよう」などと唱えない限り、頭の中でひたすら走り続ける。

走り続ければ続けるほど、次第に「ひとり」になっていく。一緒になって、どこまでもついていこうとする人が減っていくからだ。

「おもしろいやつの三大条件 ネクラ・貧乏・女好き」の章で、松本は語る。

意外に思われるかもしれないが、おもしろい奴というのは自分一人の世界を持っており、実はネクラな奴が多い。(中略)何にしても、おもしろい奴というのはどこか覚めている奴なのだ。(p53)

なぜ「おもしろい奴」は、「自分一人の世界を持って」いるのだろうか?

日本語の「おもしろい」には大きく分けてふたつの意味がある。「面白おかしい」(funny)と、「興味深い」(interesting)だ。

思うに、松本の言う「おもしろい奴」というのは後者の方ではないだろうか。

「自分一人の世界」を持つとは、周りにいる多くの他人と違う「なにか」を持っているということである。それはほとんどの場合、明確に他者と差別化できる、自分の考えや視座だ。

言い換えれば、それは「哲学」である。冒頭でわたしが松本のことを、「哲学者」と表現したのはそういう意味からだ。

真面目哲学者・松本は言う。

最終的に隠さないといけない物があったり、守るものがあるというのは、何にせよ、説得力に欠けるのではないだろうか(ヅラをつけている政治家にも同じことが言える)。
少し話がズレるかもしれないが、「朝まで生テレビ」を見ていて、女のコメンテーターがいくらいいことを言っていても、イヤリングやブローチ、化粧をしていると、なんか覚めてしまうのはオレだけなのだろうか?エラッそうなことを言ったところで、しょせん、男を意識しとるがなと思ってしまうのだ。(p78-79)

この言い分には、なぜか妙に納得してしまった。松本の考えでは、自分をぜんぶ「見せられる」ヤツが、人を「魅せられる」ヤツなのだろう。これとまったく同じとは言わない(言えない)が、文章(書評)を書くとき、「自分のこと」を出すと、人から「おもしろい」と感じてもらえやすくなる原理と似ている気がする。

それにしても、松本が「朝まで生テレビ」を見ていたのには驚いた。お笑いとはまったく縁もゆかりもなさそうな番組なだけに、そういうオカタイもの(そしてそこに出ている人)も視聴/観察している点は、「真面目」というよりも「マジメ」なのかしれない。

仕事ができる人は、たくさんの情報に触れてますよ。結局仕事でどうやって差をつけるかといったら、教養。ここを面倒くさがらないほうがいいですね。
(別冊宝島『脳力200%活用!「究極」の勉強法』 石田衣良 p118)

読みながら、この記述を思い出した。松本が落語などの古典的なお笑いなどにも精通しているのは知っていたが、もちろん、それだけで終わる人間ではない。彼はやはり、「たくさんの情報」に触れているのだ。それは「教養の深さ」と言い換えることもできるだろう。本書を読めば、松本の教養がどれほど深いものなのかすぐわかる。

真面目哲学者・人志松本の思考を知ることができる、極上のエッセイである。


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