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2011/01/27

数学を「語れない」数学の先生 ― 『中学・高校数学のほんとうの使い道』

ちょっとわかればこんなに役に立つ 中学・高校数学のほんとうの使い道 (じっぴコンパクト新書 76)ちょっとわかればこんなに役に立つ 中学・高校数学のほんとうの使い道 (じっぴコンパクト新書 76)
(2011/01/20)
京極 一樹

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本書は中学・高校で習う数学が社会で何の役に立っているのかという点から書かれた本だ。三角関数とビリヤード、指数関数と銀行預金、二次関数と自走砲など、中にはマニアックなものまで扱われている。この本を機に、数学が何の役に立っているのかを自分自身で探してみるというのも面白いかもしれない。

ただ、数式もふんだんに出てくるので数式アレルギーのある方はご注意を。



本書の表紙にこんなことが書かれている。
「数学が大嫌いだった人も、ちょっと苦手だった人も会社で、酒の席でsin、cos、tan、が語れる!」

さすがに酒の席でsin、cos、tanを「語る」機会はまずないと思うが、残念ながら学校の教室でも「教える」ことはあっても「語る」ことはほとんどないのだ。

「語る」という言葉は、大辞泉によると「話す。特に、まとまった内容を順序だてて話して聞かせる」と定義されているが、「物事の面白みや魅力を伝える」というニュアンスも含まれている気がする。

中学・高校時代、私は数学が好きではなかった。自分の中で「面白い!」という部分が見つけられなかったという理由もあるが、他方で数学を“語る”先生に出会わなかったからでもあるのかなと本書を読んでいて感じた。当時の私は、数学の面白さや魅力を知らなかった。その一方で数学を“教える”先生方にはたくさん出会ってきた。だから数学の問題を「解く」ことはできるが、数学の醍醐味を「説く」ことはできない。

「数学の先生が数学を教えるのは当たり前ではないか」 ― 確かにそうなのだが、「数学の先生」という職業についたからには、「教えること」はもちろん、「数学」という学問が好きだから「数学の先生」になったはずだ。

人が何かを好きになるには何らかの理由があり、その魅力が伝えられるのであり、すなわち好きになったものについて“語れる”のである。そして「語る」とは、「まとまった内容を順序だてて話して聞かせる」ことでもあるから、話し手が聞き手のことを考慮する必要がある。「かんしん」のない聞き手に、「関心」と「歓心」をもってもらうこと ― これこそ「語る」人が掲げる最大の目標である。

今、この「最大の目標」を胸に抱きながら「先生」という職に就こうとしている人は、ごく少数ではないだろうか。一方で、「教える」のが上手な先生は昔に比べて圧倒的に増えた。充実した学習参考書を自分の授業に利用する人もいるし、学生時代に学習塾でアルバイトをしていた経験を活かして教壇に立つ人も多い。だが、「語れる」人だけは増えていないと感じる。

私は数学が好きではないが「教える」ことはできる。だが、好きではないから「語る」ことはできない。もしも「えらい数学の先生」という先生がいるのであれば、それは「数学を“語れる”先生」のことだと思う。

「語る」という行為はすごく難しい。先生方の一生のテーマになるかもしれない。そしてこれから先生になろうとしている方たちには、自分の教える科目について「語る」ということをぜひとも考えてほしいと思っている。学問に対し、生徒たちに興味を持たせてくれる可能性が最も高いのは他の誰でもない先生たちだからだ。
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