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2013/01/06

「常に戦う」「絶対に負けない」「正義のために」というファンタジー ― 『フェア・ゲーム』

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普段、映画を二度見することはないのだが、この映画は例外だった。かなり楽しませてもらった。

以下、本映画のあらすじ。

CIAの諜報員であるヴァレリー(女性)と、元アメリカ大使の夫のジョーは、9・11後、イラクの核開発を調査するも、そこでは核開発はなされていないという結論に至った。しかし、アメリカ政府は彼らの報告を信じず(「信じたがらず」と言った方が正確だろうか)、結局イラク戦争に踏み切ってしまう。「真実」を知っているジョーは、アメリカ政府を厳しく批判。ところが、これに腹を立てた政府上層部はヴァレリーがCIAの諜報員であることを世間に暴露してしまうのだ。見知らぬ人間たちから数々の嫌がらせを受けながらも、彼女たちは屈せずに政府と戦う――おおよそ、こんなストーリーである。ちなみにこの作品は実話に基づいているらしく、ヴァレリーもジョーも実在の人物である。

それにしても、アメリカのエリートは優秀だと私は思っていたのだが、どうやらそうでもないようである。「平和を守るため」なんていうのは、(全くのウソではないにせよ)所詮はタテマエなのであって、本音は「攻撃されたのが悔しくてたまらないから」「徹底的に相手を潰したいから」なのだ。CIAが調べ上げて出した事実がどうであれ、それを理性にもとづいていかに対処するかという考えは、微塵も頭になかったのだろう。

つまり、アメリカは己の「ファンタジー」に固執したかったのである。現実が嫌になると、みな「ファンタジー」に逃げたくなるのは同じかもしれないが、それを国家規模でやってしまったというのは、本当に信じがたい。

ところで映画を観ていて、こうしたアメリカ政府のイラクに対する措置と、ヴァレリーやジョーの行動とには共通点があることに気がついた。それは「常に何者かと戦う(戦いたがる)」という点である。例えば、ヴァレリーの身元がバラされたことを理由に、ジョーが「政府と徹底的に戦ってやる」と彼女に宣言するシーンが出てくる。さらに映画の最後の方で、彼は「自分がおかしいと思うこと、疑問に思ったことは口にしろ、大きな声で叫べ」と、とある講演会で演説するのだ。

ここに、アメリカ人の1つの気質が垣間見られると思う。絶対に敵には屈服しない。何が何でも負けない。勝つまで常に戦い続ける。そういったファイティングスピリットが、日本人に比べて非常に強いように感じられる。さすがは訴訟大国である。

無論、日本人にだって昔は「大和魂」とか「欲しがりません、勝つまでは」みたいなことを叫んでいた時期はあった。「大和魂」は今でもスポーツの試合などで耳にする。しかし見ていると、どうも本当は戦々恐々としていて、でも敵にそのことを悟られたくないから、とりあえず「形」だけ、言葉の上だけ強そうに見せておけばいいや、というのが事実なのではないか。アメリカみたいに、本気で敵が憎くて、何が何でも相手を負かさないと気が済まないといった、執念や怨念のようなものはほとんど感じられない。

強烈なファイティングスピリットに加えて、「正義」(justice)という言葉も、アメリカ映画やアメリカ人の口からよく見聞きする。「正義を守る」とか「正義のために戦う」とかいった形でだ。一昨年流行ったサンデル教授の本も、そのコアには「正義」があった。「正義」とは何か、どうすれば「正義」であり続けることができるのか、それが「サンデル本」のメインテーマだった。一方、日本で「正義」「正義」と言うと、かなり気取った感じが否めない。

総じて、アメリカでは「ファンタジー」が非常に好まれるのだろう。「アメリカンヒーロー」というお決まりの言葉がそれを象徴している。きっと彼の国では、みんなが「ヒーロー」になりたがっているのではないだろうか(あるいは、「ヒーロー」であると“錯覚”しているのではないか)。「ヒーロー」は敵に負けないし、「正義」の味方だし、平和も守ってくれる。そして常に何者かと戦い続けている。そういう「ファンタジー」が、どうもアメリカという国には強く根を張っているようだ。

私は、そういったアメリカの国民性(?)というものが結構好きである。日本にそういったものはない(あっても希薄だ)し、また彼らを見ていると時々元気づけられるからだ。

しかし、である。いかんせん、いつもいつもこんな調子では次第に「疲れる」のではないだろうか。いや、確実に「疲れる」。身がもたないのは間違いない(だからアメリカ人はジムに行ってよく体を鍛えるのだろうか)。

つまるところ、常に「ファンタジー」に浸っていると、「体の調子」をおかしくするということだ。最悪な時には「暴走」してしまう(イラク戦争を始めたように)。そして最も厄介なのは、ほとんど全ての人が「ファンタジー」の中にいるから、誰かが現実を見せつけても容易に信じようとしない、あるいは信じたがらない点だ。

以前のエントリーにも書いたが、こういうことに陥らないためにも、普段から「生の現実」をよくよく観察しておく必要があると思う。現実を直視するというのは確かにつらく難しいことだが、あらぬ方向へと「暴走」する時というのは、総じて「ファンタジー」に入り浸っている時である。
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