2013/01/26

私は、本とDVDに「選ばれ」る ― 『選ぶ力』

選ぶ力 (文春新書 886)選ぶ力 (文春新書 886)
(2012/11/30)
五木 寛之

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近頃、五木寛之の健康観に関心がある。きっかけは、『養生の実技』を読んでだった。

おもしろい本だ。いま手持ちの本のオビには、「つよい心身(カラダ)が折れるのだ。」とある。五木によると、心や体は屈すること、萎えること、曲がることが大事なのだという。

嫌なことはイヤこととして捉えろ、無理にポジティブに捉えようとするな、それよりもグッタリして、ゲンナリして、またそこから徐々に起き上がればいい、ということだ。

本書も五木流の健康観や養生法が出てくる。しかし、基本的に前著と中身は同じ。それよりも、私にとっておもしろかったのは「本とDVDを選ぶ」の章だった(引用部分太字は私)。

そして現在では、DVDをみる時間が、ほぼ活字を読む時間に拮抗している。(中略)DVDといっても、最近は驚くほど幅がひろい。AVからドキュメント、専門的な学問の講義から宗教儀式まで、あらゆる分野の映像が揃っている。DVDをみることは、現代の読書であると思うようになった。(p.61-62)

最近になり、私もDVD(主に映画)をよく観るようになった。中でも社会派の映画が好きだが、今はなるべく色々なジャンルのものを観るようにしている。

ギャンブル映画やヤクザものなどもいい。自分の知らない世界や、裏社会がどういうものなのかを手頃に知ることができる。そういう疑似体験は大切なのだと、今は考えるようになった。

そういう意味で、五木の「DVDをみることは、現代の読書である」という意見は、ものすごくうなずける。本を読むのも、もちろんよい。だが、今はいまでDVDという便利な「本」がある。

それに、従来の本と違って「映像」があるのだから、インパクトは圧倒的にこちらの方が強い。頭に焼き付きやすい(=記憶しやすい)のは、確かだろう。

そして本章の最後に、こんな一節が来る。

私たちは、本にせよDVDにせよ、それを選ぶときに一定の基準などないのである。それはノウハウではなく、出会ったということなのだ。世の中、偶然や気まぐれして面白味があるだろうか。私たちは選んでいるようにみえて、じつは見えない何かに選ばれているのではあるまいか。(p.68)

本書のタイトル『選ぶ力』の「選ぶ」と結びつけた締めの文だ。

自分が何かを選んでいるようで、実は自分もそのものに「選ばれ」ている、か。確かにそうかもしれない。どんなものにせよ、人は自分の知的レベルに合ったものしか選べないのだと思う。

逆に、その選んだものから、「あなたは知的レベルはコレコレですよ」と言われている、という見方もできよう。そう考えると、知的レベルを上げたければ、いままで選ばなかった(選ぼうとしなかった)ものを選べばよい、ということになる。

とはいっても、それが結構難しい。

選ぶことは買うことが前提になっている。お金をかけるわけだから、失敗したくないという意識が働くのだ。DVDはレンタルすればいいとして、本となると高額だ。学術書や専門的な本は、2000円以上なんてザラである。

新書一冊も最近は(内容に見合わず)800円前後が相場である。少ない小遣いでやりくりしている人間にとって、なかなか痛い出費だ。

それでも、知的レベルを上げたければ、金を出すことは必要である。失敗は「授業料」だと思えばいいのだ。そうやって「選ぶ力」が段々とついてくるのだろう。

ところで、本書のタイトルは『選ぶ力』よりも、むしろ『選ぶ』だけの方が良かったのではないか。こっちの方が強烈だ。私だったら、すぐに手に取ってしまう。
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