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2013/02/04

モノ作りは、行き当たりばったりでいい ― 『映画道楽』

映画道楽 (角川文庫)映画道楽 (角川文庫)
(2012/11/22)
鈴木 敏夫

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ジブリ映画が大好きなので、手にとった一冊。

ジブリプロデューサーで著者の鈴木敏夫が、ジブリ映画の魅力と苦労話、企画の裏側、若いころに影響された作品、現代アニメ論、プロデューサーとしての哲学、「そもそも創作とは何か?」などを存分に語っている。

この中で特に気になったのは、日本と西欧のモノづくりの違い(太字は私)。

海外の場合、例えば教会を作るとして最初は空から見た視点で全体の形を考えるんです。教会だったら、十字架ですね。その全体を考えてから、部分を作っていく。ところが、日本では江戸時代の武家屋敷がいい例なんだけど、全体の設計図はないんです。まず、一つの部屋から考え始める。床の間を最初に作るとします。すると、その床柱をどうするか。棚はどう付けるかといった部分的な装飾やデザインから始めるんですよ。それを作っているときには、全体のことなんて何も考えていない。(中略)つまり、海外が「全体から部分へ」だとしたら、日本は「部分から全体へ」であると加藤さんは言っているんですね。(p.221-222)

注:「加藤さん」・・・加藤周一(評論家)のこと。

こうした違いは、アニメ制作の現場でも見られると鈴木はいう。

たとえば、まずはひとり、キャラクターを作る。男か女か。どんな服を着せるか。髪型やその色はどうなっているかetc etc etc……。そういった細かい部分から、まずは考えるらしい。物語の構成や仕掛けなどはそっちのけで。

そして、キャラクターが決まると、ようやく本題の物語はどうするか、という話に入っていくそうだ。一方、西欧はまったく逆で、最初はストーリー作りから始めるという。

いやいや、こんな違いがあったなんて知らなかった。僕はてっきり、ストーリーから練っていって、それからキャラクターとか配色とか、そういった細部へと進めていくものだと思っていた(とはいっても、そういう場合もあるのだろうけれど)。

でもこうした日本の作り方、なんとなくだが、読んでいて「確かにこっちのほうが作りやすそうだし、楽しそうだなあ」と感じた。日本流の「部分から全体へ」方式のほうが、僕はピンと来るのだ。

というのも、アニメや建築ではないけれど、自分が文章を書くときも、この「部分から全体へ」といった感じだからである。

僕は文章を書くとき、「いまからコレとコレとコレについて書こう、それで最後はこんな感じで締めよう」などと考えていない。むしろ、「なんか書きたい気持ちはあるんだけれど、なにをどんなふうに書こうか?」ぐらいの状態で始まるのがほとんどだ。

本の感想だったら、「この本のココが面白かった。だからココを取り上げて書くか」といった感じで書き始める。決して、「こうして、ああして、こうやって、ああやって・・・」というふうには頭は回らないし、やっても僕なら失敗する。だから、書くときは行き当たりばったりで、ただただ指にまかせてキーボードを叩くだけ。

映画の感想ならもっとテキトーで、「ああ、この映画、最高だった。さて、どんな感想書こうか。イマイチ思いつかないけど、パソコンの前に座ればなんか思いつくか・・・」ぐらいの気持ちで書いている。

そういえば、大学時代の卒論もそんな感じで書いていた。

とりあえず、かなり漠然と「◯◯について書きたい」という気持ちはあったけど、だからといって、きちんと「まずはアウトラインをしっかり決めて、次に××について調べて、それから・・・」などとはやらなかった。第1章から、ではなく、だいたい第3章あたりから始まりそうなこととかをいきなり書き始めた。とにかく全体像とか章立てとか、そんな「こまけえこたあいいんだよ!!」といわんばかりの感じだったなあ。

こんな超個人的事例から、無理やり日本人全体へと一般化させてもらうと、なぜ日本人の間で「合理精神」とか「論理的思考」とか、そういった概念が歴史的に見て乏しかったのか納得できる

要するに、みんな「フラフラっとやる」「チマチマとやる」のが好きというか、得意というか、そういう国民性なのだと思う。昔から「形から入る」という言葉があるように。

他方、きちんと計画を立ててから行動に移す人がよくいる。

最近見た何冊かの自己啓発書(ビジネス書?)の中で、「キャリアプランはしっかり作るべき」みたいなページがけっこうあった。「1年後には◯◯の資格を取得し、5年後までには××へ留学して、10年後までには独立して・・・」といった感じだった。

すごいな、熱心だなと感じる。でも、僕には疲れそうだ。なんかこう、ガッチリと予定や目標を組んでしまうと、自分だったら息が詰まってしまうからだ。

その都度その都度、部分的に対処していくっていうやり方でもいいのではないか。僕はそう思っている。そういう「手法」じゃマズイ場合や、通用しない分野ももちろんあるけれど、少なくとも「人生」という分野は、そういうやり方でやっていってもいいのではないだろうか。「人生像」とか「ライフプラン」とかいう「全体」から考えるのではなく、とりあえず「今日は何しようか?」とか「1ヶ月はこんな感じになってたらいいな」ぐらいの、「部分」的な発想で

と、気づいたら最後はどうでもいい人生論になってしまった。これも「部分から全体へ」方式を取ってこその仕上がり、というものだろう。

とにかく、この本は面白かった。



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